ガン完全克服マニュアル

当ブログはガンを克服するための最新治療法を全て掲載しています。
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2009年1月28日より、新しく掲示板と、病院評価ランキングを追加しました。 どんどん活用して下さい。


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2017年06月24日 (21:16)

亡き妻、麻央さんに重ねた 「はなちゃんのみそ汁」作者

「麻央さんはブログを通じ、病で苦しんでいる人たちを笑顔にしたかったのだと思う」。小林麻央さんの死去を受けて、「はなちゃんのみそ汁」(文芸春秋)を家族で著した福岡市の安武信吾さん(53)が取材に語った。信吾さんは、2008年に乳がんで33歳で亡くした妻を小林さんに重ねた。

妻の千恵さんもブログを書いていた。「最初はがんであることを人に言わなかったが、ブログを書き始めてふっきれたのか、明るくなった」と振り返る。「気持ちをはき出し、受け止めてもらって。『分かち合い』ができたのが大きかった。麻央さんもそうだったのでは」

 千恵さん亡き後、信吾さんは茫然自失(ぼうぜんじしつ)の毎日を過ごした。未来が全く描けなくなった。自分を取り戻すきっかけとなったのは、長女はなさん(14)が作るみそ汁だった。千恵さんが「1人でも生きていけるように」とはなさんに教えたもの。安武さんの話にじっと耳を傾けてくれた周囲の存在も大きかったという。

 千恵さんが亡くなった当時5歳だったはなさんは、昨年10月、小林さんに宛てた手紙をしたためた。「我が家と一緒だと思って。メッセージを送りたかった」とはなさん。「食べ物の力はすごいです。麻央さんも、しっかり、ご飯を食べてくださいね。(中略)病気が治ることを祈っています」と書いた。

 はなさんは「(麻央さんの子どもたちに)かわいそうにって言わないで」と願う。母がいなくて寂しく思った時はもちろんある。「でも、パパがいるし、ママは体はないけど、いる。かわいそうって言われるのがすごく嫌だったし、今も嫌です」と話した。(山下知子)
.
朝日新聞社
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2017年06月24日 (21:14)

神田うの、小林麻央さんの訃報に眠れず 「本当に優しく愛くるしい女性だった」

タレントの神田うのが「美しい麻央ちゃんへ」というタイトルでブログを更新した。22日夜に死去したフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)と、その姉であるタレント・小林麻耶との思い出を振り返っている。

24日に日付が変わってから更新された『神田うのオフィシャルブログ「UNO Diary」』によると、前日は「同じ母親として今日1日ずっとずっと心が泣いていました」と愛する我が子を残してこの世を去った小林麻央さんを思い、悲しみに暮れていたという。深夜になってもなかなか眠ることができず、ブログに彼女への思いをしたためた。

ある日、フジテレビで収録があった神田うのは、楽屋前の廊下で別番組の収録で来ていた小林姉妹と初対面したという。「大学生の頃、うのさんがデザインしたストッキング愛用していました!」「憧れのうのさんに会えて嬉しいです!」と自分のもとに駆け寄り、キラキラした目で話しかけてきた2人。この言葉に感激した神田は、自分の楽屋にあった手持ちのストッキングを2人の楽屋に届けた。すると麻耶も麻央さんも大喜びで、神田はその時の2人の表情が今でも忘れられないようだ。

「麻央ちゃんは初対面の人をも幸せな気持ちにさせてくれる、本当に優しく愛くるしい素敵な素晴らしい女性だった」と振り返りながら、その後乳がんを患い闘病生活に入ってからの彼女のブログに「勇気と励ましも沢山頂きました」「本当にどうもありがとう」とお礼を述べている。

一般人だけでなく、芸能界にも小林麻央さんのブログを愛読している人は少なくなかった。彼女の生前最後となる投稿には2万件を超すコメントが届いているが、投稿が多すぎて前日の分も未だ表示が追いつかない状態になっているようだ。
(TechinsightJapan編集部 みやび)

2017年06月24日 (20:51)

櫻井翔さんは涙…小林麻央さん死去に芸能界から悲しみの声

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)の妻で、乳がんで闘病中だった小林麻央さんが34歳の若さで亡くなった。麻央さんと親交のあった、櫻井翔さん(35)ら芸能界の仲間たちから、悲しみの声が寄せられている。

夜のニュース番組で、3年半一緒に過ごした嵐の櫻井翔さん。麻央さんの訃報に接し、「この度は、小林麻央さんがお亡くなりになったということで、心よりお悔やみ申し上げます。ただただ...ただただ、残念だという言葉に尽きますけれど...」と言葉を詰まらせながら語った。

「小林麻央さんは、NEWS ZEROの初回の時からおよそ3年半、ご一緒させていただいておりました。NEWS ZEROという番組は、本当に温かい番組ですので、出演者スタッフ含めて、『ZEROファミリー』と呼んでいます。ですので、まさにそのファミリー...。家族を失ったような気持ちでいっぱいです。ZEROキャスターの村尾さんをはじめ、出演者全員、スタッフ一同で、手書きでメッセージも送っていまして、少しでも良くなるようにと願っていたところでしたので、悔しいですね。...ごめんなさい、以上です」と語った。

同じニュース番組でキャスターを務める村尾信尚さんは、「あまりにも早く逝かれたな、という思いでした。天の非情といいますか、それを強く感じました。本当に麻央ちゃん、苦しかっただろうし、つらかっただろうと思うんだけど、麻央ちゃんと一緒に、若い世代で日本を変えていこうという強い思いで、2人でニュースを伝えてきたのですが、そのことに対してわたしは、誇りに思います」と語った。
麻央さんの結婚式で「Jupiter」を披露するなど、以前から親交があった歌手の平原綾香さん(33)は23日、ブログで、麻央さんへの想いを次のようにつづった。

「本当に大好きでした。いろんな思い出があって、1つ1つがかけがえのない瞬間だったと、今、かみしめています。ご家族の方々のお気持ちを思うと、何も言えませんけれど、麻央さんはこれからもずっと、わたしたちの中にいます。これからもずっと大好きです」

タレントのモト冬樹さん(66)は「海老蔵君、ご家族の心中、お察しします」とブログにつづったほか、お昼の情報番組「バイキング」の司会・坂上忍さん(50)は、麻央さんの訃報に接し、涙をこらえ絶句した。

海老蔵さんの舞台をたびたび演出してきた宮本亜門さん(59)は「麻央さんは、怒濤の最終舞台稽古の時も、最前列の一番端の席に座り、まるで観音様のような温かいまなざしで、海老蔵さんや皆を見守っていました。これからもご家族を見守ってあげてください」としている。

闘病中の麻央さんに、ブログを通して、これまでたびたびエールを送ってきた教育評論家の尾木直樹さん(70)は「最期に麻央さんが、海老蔵さんに『愛してる』と最後の一言を言って、息を引き取ったとおっしゃっていましたけど、その愛でつながっている、結ばれているのは、すごく強いと思うんですね。だから、その愛を大事に、これからも育んでいってほしい」と語った。

2017年06月24日 (20:39)

「がんの陰に隠れないで」続けた300日の闘病記 小林麻央さんが遺した言葉

乳がんで闘病していたフリーアナウンサーの小林麻央さんが、6月22日夜に亡くなった。34歳だった。
夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは23日に会見。妻への思いを語った。
海老蔵さんの会見でも話題に上ったのが、小林麻央さんの「ブログ」だ。

「(麻央さんは)“多くの人の救いになれるような存在になりたい”ということでブログを始めた。ブログで同じ病に苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合う妻の姿は、私からすると、すごい人だなあ、と。愛を教わりました」

小林麻央さんがブログ『KOKORO.』を開設したのは、2016年9月。2017年6月20日に公開された最後の記事まで、約350回の更新があった。

がんになった著名人が病気の経過をリアルタイムで公開するのは、珍しいケースだ。ブログ開設について、海老蔵さんら家族も驚いていたという。

海老蔵さんはその驚きを、自身のブログ『ABKAI』の『まおのきもち』という記事で次のように述べている。


まおのきもち、

聞いた時、

私としては青天の霹靂、

目から鱗でした

が、

それを願うのなら、

と…

(出典:『まおのきもち』)

しかし、麻央さんの決意は固かった。きっかけとなったのは、麻央さんを担当する「緩和ケアの先生」の一言だったという。

2016年9月1日に公開された最初の記事は『なりたい自分になる』というタイトルだった。そこでは、麻央さんがブログを開設するまでの経緯が報告されている。


当初、麻央さんは自身のがんについて「誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、、、」という思いだった。しかし、マスメディアの報道が先行してしまう。

「乳がんであることが突然公になり、環境はぐるぐる動き出し」た。そんな麻央さんを動かしたのは、「先生」のこんな言葉だった。


「癌の陰に隠れないで」

(出典:『なりたい自分になる』)

この言葉によって、麻央さんは、「癌患者というアイデンティティー」が「心や生活を大きく支配してしまっていた」ことに気がついたという。


私は

力強く人生を歩んだ女性でありたいから

子供たちにとって強い母でありたいから

ブログという手段で

陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。

(出典:『なりたい自分になる』)


こうして始まったブログでは、何が語られていたのか。麻央さんが私たちに残したメッセージを紹介する。

「かつら」を巡る夫婦のたわいないやりとり。「ネイル」を楽しむ姿も。
抗がん剤の影響で髪が抜け、かつらをかぶることにした麻央さん。2016年9月2日の記事『かつら』では、金髪のウィングを試して、家族から「!!き、き、きんぱつー!?」というリアクションを期待した。しかし、家族は意外にもそれをすんなり受け入れたというエピソードを紹介している。

続く9月3日の記事『かつら2』では、長髪のウィッグを試してみた結果、「アグネスチャンさん??」と言われたことを紹介。9月15日には、なぜか海老蔵さんが麻央さんのかつらをかぶるという展開もあった。海老蔵さんは「案外似合う… マオの笑顔が私の宝、」とコメントしていた。

抗がん剤は爪に影響することがある。2017年1月には、「しばらく無関心になっていた」ネイルをして、「爪に 愛情向けられて 良い気分」だったという。


私は、


抗がん剤による爪の変色と変形は、

足の親指だけでした。

傷んでしまった部分も、

がんばって変わらない部分も、

みんな自分なので、

いたわりたいです。

(出典:『ネイル』)

しかし、時には不安な心の内を吐露していた。ふとしたときに意識する病気のこと。

2016年9月4日、麻央さんは「後悔していること、あります」として、次のように述べた。


あのとき、

もっと自分の身体を大切にすればよかった

あのとき、

もうひとつ病院に行けばよかった

あのとき、

信じなければよかった

あのとき、、、

あのとき、、、

(出典:『解放』)

麻央さんは以降のブログで、病気発見から告知までの経緯を断続的に紹介している。

海老蔵さんに同行した人間ドックで「左乳房に腫瘤」が発見されたこと、そのしこりについて、一度は「がんを疑うようなものではない」と診断されたこと、半年後の検査で、別の場所にしこりがあるとわかったこと、そして、やはり乳がんと告知されたことなどを告白した。

「これからどうなるんだろう」と途方にくれた心境を、麻央さんは次のように表現している。


こんな時でもお腹がすいた。

さすが私。

ふらりとお店に入り、

ジェノバパスタを頼んだ。

ソースが少ない、パッサパサのパスタ。

なんて、まずいのだろう。

涙を流すには丁度良い味だった。

まずい。

まずい。。

まずい。。。

まずい。。。泣 泣 泣 泣

涙が止まらなかった。

(出典:『まずいパスタ』)


がんであることを意識する、ふとした瞬間の描写もある。病室で検査のための処置をされたときのこと。



その先生が、あまりに美しく、

洗練された手つきのため、

まるでドラマのワンシーンのように

思えてくる。

次に、

太い注射針のようなものを刺して、

パッチン! ! パッチン!!

と、

細胞を採取する音で、

一気に現実に引き戻された。

ドラマなんかでなく、

現実なんだ。。。

私、癌なんだ。

(出典:『10 現実』)

それでも、麻央さんは決して諦めなかった。不安になれば、また決意を取り戻す。

約10カ月の闘病記からは、寄せては返す波のように、落ち込み、奮起する麻央さんの姿が、率直な言葉で浮かび上がる。


2016年10月3日には、自分の病気について「一般的には、根治は難しい状態と言われるかもしれません」としながらも、「私はステージ4だって治したいです!!!」と強く訴えた。


だから、

堂々と叫びます!

5年後も

10年後も生きたいのだーっ

あわよくば30年!

いや、40年!

50年は求めませんから。

だって

この世界に 生きてる って

本当に素晴らしいと、感じるから。

(出典:『心の声』)

2016年11月3日の記事『疲れる』には、よく訪れるという公園で、ふとした瞬間にこみ上げた感情がリアルに書き置かれている。


強烈に、想いました。

生きたい。

もっともっと思い出をつくりたい。

今までの光景が

パラパラ漫画のように心に流れて、

このずっと先のページにも

いたいと、強烈に感じました。

どうしたら、その願いが叶えられるか、

どこに方法が隠されているのだろう。

隠されてなんかいないのに、

気づけないだけだろうか。

(出典:『疲れる』)

残念なことに、麻央さんの願いが叶うことはなかった。

麻央さんのブログのうち、大部分を占めていたのは、やはり家族のことだった。

がんであることがわかったとき、家族に対しては、まず「ごめんね」と思ったという。


ごめんね。

病気になっちゃった妻で。

病気になっちゃった娘で。

病気になっちゃった妹で。

(出典:『18 家族からの着信』)

麻央さんと海老蔵さんには、長女・麗禾(れいか)ちゃん(5歳)と長男・勸玄(かんげん)くん(4歳)がいる。

2016年11月27日には、「今後の治療」についての真剣な「話し合い」をする夫妻を、お子さんが気づかう場面もあった。


そうしたら、

娘が

私のところへやってきて、

耳元で

「パパに何も言わないで。

パパはママのこと

愛してるんだから」と。

真剣すぎる空気に、

娘からの心遣い。。。

(出典:『家族のかたち』)

しかし、時には家族に対して辛く当たってしまうことも。


家族が

私の食欲や痛みについて 心配し、

色々提案してくれたとき

「私の身体は私が一番わかってるから」

と言ってしまいました。

「うん。そうだよね!」と

優しく返されましたが、

病室で ひとりになり、

家族にとっては

悲しい一言だったのではないかと、、、

(出典:『眠れない夜のひとりごと』)

34歳の、母でもあり、妻でもあり、妹でもあり、娘でもある女性。麻央さんは数々のメッセージを家族に向けて送っていた。

麗禾ちゃんと勸玄くんにはこのように。



今日も

子供たちふたり、仲良く遊んでいる

と主人から聞き、うれしい朝でした。

私は姉妹で育ってきたので、

異性の姉弟って想像しずらいのですが、

大きくなっても

相談し合えたり、助け合えたりする

姉弟でいて欲しいと願っています。

(出典:『姉弟』)

姉である小林麻耶さんにはこのように。


私の幸運のひとつは、

姉の妹に生まれたことだと思っている。

(出典:『姉』)

母親にはこのように。


今日は、主治医の先生とのお話で、

母が一緒に病院へ来てくれました。

安心する反面

悲しい思いをさせたくないから

あまり一緒に来たくないという

複雑な娘心があります。

(出典:『母』)

また、海老蔵さんの母である堀越希実子さんには、このように。


母の本。

「私が伝統を伝える相手は

麻央ちゃん」

という母の言葉があった。

まだ何も受け継げていないまま

病気になり、

闘病で時が過ぎていくことを

悔しく思う。

(出典:『母の日』)

そして、夫である海老蔵さんは、頻繁に麻央さんのブログに登場していた。2017年1月9日に放送された日本テレビ系特番『市川海老蔵に、ござりまする。』のインタビューで、麻央さんは涙ながらに、次のように語った。


「主人と結婚したからこそ、今私はこうやって生きていられる」「そうじゃなかったら、もう心が死んじゃっていたかもしれない」

6月23日の記者会見で、海老蔵さんは麻央さんの最後の言葉が、海老蔵さんに向けた「愛してる」だったことを明かした。

麻央さんのブログは、2017年6月までに200万人以上から読者登録された。閲覧回数で言えば、それよりもはるかに大きな数になるだろう。

麻央さんは、3月18日、がん患者の訃報について言及した。


闘病されていた方の訃報にふれると


自分のなかのどこかの小枝が

ポキって折れるような気持ちになります。

(出典:『ふと、、、』)


だから

私も 癌を公表しているものとして

少しでも長く生きていきたいです。

(出典:『ふと、、、』)


このことへの配慮か、海老蔵さんは6月23日の記者会見で、「ずっと麻央はみなさんの側にいると思うので」と、麻央さんを応援した読者に感謝を伝えた。

最後の更新となった記事の内容は、麻央さんの母が絞るオレンジジュースの味への感想、そして読者へのメッセージだった。



今、口内炎の痛さより、オレンジの

甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!

朝から 笑顔になれます。

皆様にも、今日 笑顔になれることが

ありますように。

(出典:『オレンジジュース』)

ブログ開設からの麻央さんの活動には、世界からも注目が集まった。英BBCに寄稿した『がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」』という記事には、「死」についての言及がある。もし、今回のニュースで麻央さんを「かわいそう」だと思った人がいれば、ぜひ一度、目を通してほしい。



人の死は、病気であるかにかかわらず、

いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

2017年06月24日 (20:17)

麻央さん“生きる源”になっていた「前向きさ」が多くの人に勇気

22日夜に東京都内の自宅で乳がんのため亡くなっていたことが23日に分かった、歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)の妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)。本紙で「病気のサイン」を連載している石原結實医師は、麻央さんの明るさや前向きさが本人の“生きる源”になっていたはずだと話す。

「進行具合などから考えると、むしろここまで頑張れたのは奇跡的だと思います。やはり、このような闘病生活になると家族の支えはもちろんですが、本人の前向きな気持ちが大いにかかわってきますので」

 会見で海老蔵が語っていたように、麻央さんは同じ病気に苦しむ多くの人たちに、少しでも勇気を与えようと前を向きブログを更新し続けた。

 ブログの中で「もっと自分の体を大切にすればよかった」「もうひとつ病院に行けばよかった」「信じなければよかった」などと麻央さんは、後悔の念をつづったこともある。これは、2014年2月の人間ドックで左乳房に腫瘤(しゅりゅう)が見つかった後、最初に診察した医師の「授乳中のしこりなので心配ない」という言葉を信用したことと、その際「半年後にもう一度検査」と言われたのに、10月になってしまった(そこでがんと診断された)ことを指している。

 女性の11~12人に1人が乳がんになる時代。ブログを見た女性たちは、麻央さんの後悔を無駄にしないよう、定期的な検査や複数の意見に耳を傾けようと思ったに違いない。

 厳しい病状から、ここまで頑張れないことの方が多いという石原医師。奇跡的に命の火を燃やし続けられたのは、海老蔵をはじめとする家族みんなの愛と、麻央さん自身の多くの人に向けられた愛の力によるものだったのだろう。

2017年06月24日 (20:00)

小林麻央さん死去 改めて考える「乳がん」早期発見の大切さ

乳がん闘病中だった、フリーアナウンサーの小林麻央さんが6月22日、34歳という若さで亡くなりました。


小林さんについては、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが2016年6月、記者会見を開き、乳がん闘病中であることを公表。小林さんは同9月から「闘病ブログ」への投稿を始め、同じ病気で苦しむ人など多くの読者を引きつけてきました。

 海老蔵さんが23日に行った会見で、小林さんの最期の言葉が「愛してる」であったことを明かすなど、その悲しみは社会全体に広がっています。

 改めて、小林さんが闘った「乳がん」とはどのような病気なのか――。オトナンサー編集部では、乳腺診断の専門家として2006年以降、約1500件の乳がんを診断しているベルーガクリニック院長の富永祐司さんに聞きました。
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女性の「12人に1人」がなる病気

 乳がんは、女性の罹患数が最も多いがんとして知られます。女性の12人に1人がかかると言われ、国立がん研究センターによると、2012年は国内で約7万4000人が罹患したと推計されます。

 一方で、治療後の生存率はほかのがんに比べて高く、同センターなどの研究によると、がん全体の10年生存率(2000~2003年に診断された患者)が58.5%であるのに対し、乳がんは81.7%という結果でした。

「つまり、乳がんは早期に発見できれば治癒が見込めるがんと言えます。特に日本は他国に比べて、乳がんの死亡率が低いのです」(富永さん)
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早期発見へ、乳がん検診を欠かさずに

 乳がんの症状は「脇の下や乳房にふれるしこり」「乳房にできるくぼみ」「乳頭や乳輪部分の変化(湿疹やかぶれ)」「乳頭からの血の混じった分泌物」などで、治療法としては「手術」「放射線療法」「薬物療法」「内分泌(ホルモン)療法」「化学療法」「分子標的治療」があります。

 がんは、病変がどの程度広がっているかを基準に「病期(ステージ)」が決まりますが、乳がんにおいてステージ「0」~「2」は「早期がん」とされ、乳房を温存できる可能性が高い一方、「3」以降は原則的に乳房全切除の対象となります。

 なおステージごとの10年生存率(2000~2003年に診断された患者)は「1」=95.0%、「2」=86.2%、「3」=54.7%、「4」=14.5%です。

 小林さんは2014年10月に乳がんと判明。その後、骨や肺への転移もわかりましたが根治手術はせず、今年1月から自宅での療養生活を開始しました。実に、2年半以上に及ぶ闘病生活の末の最期となった形です。

 富永さんは「乳がんは早期発見することにより、治癒の確率が高まるがん。年1回のマンモグラフィーとエコーを併用した乳がん検診を、欠かさず受けることが大切です」としています。

2017年06月23日 (16:41)

麻央さん、海老蔵に「愛してる」と言って旅立つ

がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが34歳の若さで死去したことが23日、明らかになり、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が同日、東京・渋谷のシアターコクーンで会見した。海老蔵は前夜に麻央さんが「愛してる」と言って、息を引き取ったことを明かした。
海老蔵は前日22日の同劇場での公演後、別の稽古があり、終わった後に麻央さんの母親から「具合がわるい」旨の連絡が入っており、急いで自宅に戻ったという。

 麻央さんにつきそうと、うまくしゃべれない状態だったというが、海老蔵は「不思議なことなんですが」と振り返りながら、麻央さんが最後に「愛してる」と言って、旅だったことを明かした。

 海老蔵はこの日正午から、同劇場で自主公演「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」昼の部を気丈に演じ切った後に会見に臨んだ。

2017年06月23日 (16:35)

若くして「がん」に。死に直面したサバイバー達がいま伝えたいこと

がんに直面して、人は何を思うのか

早期がんでも、進行性がんでも、自分のがんに直面して死を意識しない人は恐らくいないだろう。がんを患ったことで苦しい治療を乗り越え、自分の命と真正面から向き合って、大きく人生観を変化させた人たちがいる。一体、彼らの心中にどんな変化が起きたのか。2人のがんサバイバーに話を伺った。


みんなと同じように食べられない苦しみ

1人目は、現在日経BP社でマーケティング戦略研究所上席研究員を務める品田英雄さん。ラジオ局でディレクターを務めたのち、週刊誌創刊のため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)へ1987年に入社。翌年の創刊直前、31歳で胃がんが発覚する。胃を全摘して職場へ復帰。現在まで再発なく、今年でがんサバイバー歴30年を迎える。がんを経験して、どんなことを得たのだろうか。

「ある日、同僚と飲んだ帰りに暗い場所で吐いたんです。その時、少し血が混じっているような感じがして、医療センターへ行くと十二指腸潰瘍の診断を受けて入院を余儀なくされました。その後、精密検査で胃がんが判明しますが、当時は本人ではなく家族への告知が主流だったので、私ががんを知ったのは手術後でした」
がんの罹患部は胃の上部だったため、手術で胃を全摘。ロールーワイ法という再建術で、品田さんの食道と小腸、小腸と小腸がつながれ、十二指腸側は閉鎖された。

「がんを知らされてショックでしたが、それ以上に胃がなくなった苦しみが大きかった。食事をすると食べ物が一気に小腸へ到達するため、ダンピング症候群(発汗、動悸)を起こしたり、食べ物が逆流する逆流性食道炎も併発してとても苦しかったですね」

がんの治療は順調に進み、3週間後には退院。再発防止の抗がん剤(錠剤)を飲みながら、職場へ復帰した。しかし食べる時間が変則的になり、みんなと一緒に食事に行くことは難しくなった。1度に食べられる量も減り、62kgあった体重は52kgまで減少。痩せる恐怖や栄養を取れない不安にも襲われた。

「栄養を摂ろうと高カロリーの食事ばかり食べた時もありましたが、体に悪いことはするべきではないと気づいて。がんになった原因は、それまでの生活スタイルや考え方に不自然な部分があったから。ラジオ局では激務をこなしていたし、小さい頃から体が弱かったことを忘れ、お酒や夜更かしなど健康から程遠い生活をしていました。がんを経験して、再発の怖さやその他の病気にも敏感になり、食生活や運動など、体にいいことを心がけるようになりました。正直、いまの僕は健康オタクといっても過言ではないですね(笑)」

こうした肉体的な苦しみと並行して、精神的な悩みも生じた。入院期間中、自らの体験に加え、仲良くなった入院患者が亡くなる様子を目の当たりにしたことや、復帰後に職場の後輩を肝臓がんで亡くしたことで、死をとても身近に感じるようになる。

「昨日まで元気でも、あっという間に終わりを迎えてしまう人間の儚さを知り、“生きる”とは一体どういうことなのか?と、真剣に考えるようになって。人生はいつ終わるかわからない、だから納得のいく人生を送りたい、と思ったんです。職場に対しては、病気になった自分を再び受け入れてくれたことに対する感謝の気持ちがあって、復帰後はそれまで以上に一生懸命取り組んでいましたね」
その後、1997年に月刊誌『日経エンタテインメント!』を無事に創刊させ、編集長として意欲的に仕事に取り組む一方で、人生は仕事がすべてじゃないと思う気持ちも生じていた。仕事とプライベートを分けて考えるのではなく、人生のすべての時間を楽しんで生きたいと願った。

「あれから30年経ちますが、いまは精神的な安らぎと食事、運動の3つでバランスをとり、体と対話しながら、いつも心地良い状態でいられるよう調整しています。がんの治療中もそうですが、生きる上では心を落ち着かせることが大切。アメリカでは、がんに打ち克つ!なんて精神があるけれど、それは力み過ぎな気がします。力を抜いているけれど、前向きな気持ちを保っていくという精神が日本人の性には合っているような気がしますね」

品田さんが創刊させた「日経エンタテイメント!」は、すでに20年目を迎える。品田さんはがん治療を乗り切り、創刊誌を成功させた後、テレビのコメンテーターやラジオパーソナリティーとしてさらなる活躍を遂げた。もちろん、がんにはならないに越したことはない。しかし、品田さんはがんをきっかけに、体の健康や心の安定、仕事や生き方と真正面から向き合い、いまも自らが納得のいく人生を送っている。

がん治療で腎臓を失い、人生の夢を見つけた

2人目は、東急エージェンシーで勤続10年目を迎える軍司和久さん。22歳で精巣腫瘍を告知された。幼少期に患った骨髄異形成症候群の影響で、腫瘍摘出手術後の抗がん剤治療が難航するも、最終手段として行った転移部の摘出手術が成功。告知から1年後には、大学院に復学し、東急エージェンシーに就職。現在、がんサバイバー歴13年を迎える。若くして死に直面した経験を糧に、将来の夢も見つけたというポジティブな体験談を聞いた。

「大学院に入って間もない5月に激しい腹痛が1週間ほど続き、泌尿器科で検査をしたところステージ3Aの精巣腫瘍と告知されました。後腹膜リンパ節と腎臓に転移があり、腹痛を引き起こしていたのです。いきなりのことでショックを受けた一方、異常な腹痛の原因はがんだったんだ、と冷静に受け止めている自分もいました。5歳の頃、白血病になる可能性の高い骨髄異形成症候群を患い、子供心に死を覚悟していた時期があって。それ以来、悔いのないように生きようと思ってきたので心構えはできていたのかもしれません」

告知から3日後に手術を予定していたが、治療方針について主治医の知識に不安を感じたという軍事さん。インターネットで治療法を調べたところ、「BEP」という3種の抗がん剤治療が主流のなかで、2種の抗がん剤を使う「EP」という40年前の治療法を提示されていることに気づく。

「セカンドオピニオンが必要だと感じ、初めの病院で摘出手術だけを受け、がんセンターを再受診したところ、他の病院では助からないほど進行していることを告げられました。ただ、『これまで診た進行性精巣腫瘍に罹患した14人の患者さんは、BEP治療でいまも全員生きているから大丈夫、頑張ろう』と先生に言われ、すごく勇気付けられました」

そこから薬剤投与が始まるも、骨髄異形成症候群の影響で強い抗がん剤を投与できず、通常の4クールを越えて6クールまで行ったが治療の成果はあまり見られなかった。骨髄のダメージが酷く、これ以上の抗がん剤治療は難しいという主治医の判断のもと手術に踏み切り、片方の腎臓全する摘など転移箇所を切除した。

「死を覚悟した時期もありましたが、ポジティブな人間なので悲観はしなかったですね。むしろ、22歳でがんを経験したことは自分の強みだと感じ、この若さで死に直面した自分がどう感じるかを発信したいと思ったんです。闘病記としてブログを始めると、勇気付けられた、感動した、と大きな反響をもらうようになり、1日1000アクセスを記録するまでに。ブログを見た知らない人がお見舞いに来ることもありました」

自分の闘病記が見ず知らずの人の心を動かした経験を経て、いつ死んでも悔いはないと思ったという。手術後、2年以内に再発する可能性は70%と告げられるも、寛解。翌年の4月には大学院へ復学し就職活動も成功して、現職場で10年目を迎える。

「いまは腎臓が片方しかないので、がん治療後は激しい運動ができなくなりました。それでも、世の中では健常者として生きていなければいけない。がんサバイバーとして、がんになった人の競技があったらいいなと思うようになりました。がん患者のオリンピックを作りたいという夢を持つようになって、就職活動の面接でも話しました。まだ実現はしていませんが、がんになってよかったと思える人が増えるスポーツをいつか作りたいと思っています」

若くしてがんと向き合ったことで、大きく人生が変わったという軍司さん。ポジティブな思考が、前向きな行動を生み出し、自分の人生をも好転させた。もちろん健康でいるにこしたこはないが、がんは人生観を一変させるような感情をもたらし、多くの人が悔いのない人生を送るべきということに気づく。それは、病からの貴重な贈り物なのかもしれない。
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文=井上真規子(verb)/ 人物写真=片桐 圭

2017年06月23日 (16:14)

麻央さんとドラマ共演の松本莉緒「あなたの分もしっかり生きます」

女優の松本莉緒が23日、インスタグラムを更新し、乳がんのため亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さんについて「麻央ちゃんを想ってます」「涙が溢れてきます」とつぶやいた。松本と麻央さんは05年にDVDで発売されたドラマ「東京フレンズ」で共演していた。

松本は、木の間から日光が差し込む青空の写真をアップし「今。母からmailが届き、知りました。麻央ちゃんのことを想ってます」とつぶやいた。

 松本と麻央さんは05年に、歌手の大塚愛主演で発表されたDVDドラマ「東京フレンズ」で共演。松本と麻央さんは主演の大塚の友人役として登場している。

 松本は「麻央ちゃんが初めて演技をした時。立ち位置がわからなくて、手を引っ張ってココだよって教えてあげました」「何度もテイクを重ねて、スタッフさんへ申し訳ないと終わって涙してた姿にみんなでもらい泣きしちゃって」と、麻央さんの人柄がにじみでるエピソードも明かした。

 「同じ年として同じ作品に携わった共演者として。女性として人として。。あなたの分もしっかり生きます」と約束。「去年も事務所やマネジャーさんに連絡していたんだけど…繋がらなかったんだ…ずっとblogは見てたよ。本当はちゃんと、会って伝えたかった。何か力になりたかった」と早すぎる別れを惜しんだ。

2017年06月23日 (15:47)

小林麻央さん死去 「がんが憎い」三原じゅん子参院議員がブログで発信 自らも闘病経験 歌手の平原綾香さんは長文の思い出綴る

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)の妻で、乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが死去したことが分かった23日、自民党の三原じゅん子参院議員(52)は、「がんが憎い」と題したブログで「ショックで涙が出て来た。ご家族のこれからを思うと無念でしょう。小林麻央さんの笑顔を忘れません。合掌。」と短い文章に無念さを込めた。

 三原議員は、子宮頸(けい)がんで闘病生活を送った経験などから、子宮頸がん予防ワクチンの接種・検診の無料化など医療・福祉を中心に政治活動を行っている。

 漫画原作者の小池一夫さん(82)はツイッターに「小林麻央さんがお亡くなりになった。テレビやネットでしか知らない方だけれど、とても悲しい。しかし、小林麻央さんのように有名な方でなくても、毎日毎日、病と闘っている方々は沢山いる。自分も含め、その闘っている人たちが、戦いに勝てることを心から祈る」と投稿した。

 また、歌手の平原綾香さん(33)はブログに「小林麻央さん」と題し、「思い出のすべてが宝物です」と思いのたけをつづった。平原さんのブログ全文は次の通り。

 「小林麻央さん 本当に大好きでした いろんな思い出があって 1つ1つが かけがえのない瞬間だったと 今 かみしめています」

 「麻央さんと長岡花火の復興祈願花火 フェニックスを取材して 一緒に泣いたこと 麻耶さんと一緒に コンサートに来てくださったこと 麻央さんのリクエストで 結婚披露宴とコンサートを生中継で繋いで Jupiter を歌わせていただいたこと お着物姿で、事務所まで ご挨拶に来てくださったこと 思い出のすべてが 宝物です」

 「ご家族の方々のお気持ちを思うと 何も言えません けれど  麻央さんは これからもずっと 私たちの中にいます 麻央さん 本当に 本当にありがとうございました これからもずっと 大好きです」

 「昔 麻央さんからいただいた モコモコのパーカー 今でも  大切に着ています どうか ずっと見守っていてください」
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