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ガン完全克服マニュアル

当ブログはガンを克服するための最新治療法を全て掲載しています。
ガンの部位別に適した治療法のわかる国内最大級の完全データベースです。

2009年1月28日より、新しく掲示板と、病院評価ランキングを追加しました。 どんどん活用して下さい。


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2017年06月26日 (10:59)

国分太一が小林麻央さん悼む「言葉というのは強い」

 TOKIOの国分太一(42)が、22日に亡くなった小林麻央さんを追悼した。

 国分は26日放送のTBS系「ビビット」で、麻央さんが書き続けたブログについて「どんな状況でもいろんな人たちにメッセージを出していて、それを僕らはグッと頂いて、それを勇気や強さに変えていく、そういうふうに今後はなっていくのかな。やはり麻央さんの持っている言葉というのはこれからも生き続けるので、自分たちが見たいタイミングで見るのかな、それくらい麻央さんの言葉というのは強いですね」と語った。

【写真】ウエディングドレス姿の小林麻央さん

 さらに「麻央さんはすごく人の痛みの分かる方。どんな状況でもブログを書き続けて、同じような病気になっている方たちにもメッセージを伝えるという、それは本当に勇気がいることだと思う。それを僕たちもしっかり見て、次へつなげなきゃいけない」とコメントした。

2017年06月26日 (10:44)

菊水丸、小林麻央さんの死に言葉失う…自身は甲状腺がん克服

伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸(54)は25日、大阪市内で「河内音頭・盆踊りツアー2017」出陣式パーティーを行い、2012年12月25日に手術した甲状腺がんからの完治にお墨付きをもらった。担当医の大阪警察病院・鳥正幸内分泌外科部長が「採血、画像診断も曇りない。10年、20年活躍できる」とあいさつ。手術当時、ステージ4の末期だった。

 手術による完治と引き換えに声帯を失い、引退すると一度は決めた。周囲の声もありセカンドオピニオンを求め、声帯を残してがんを取り除く道があると知った。完治のメドとした術後5年まであと半年。「ようやくここまでたどり着けました」と笑顔で語った。小林麻央さんの闘病は人ごとではなく「祈るような気持ちでした」と言葉がなかった。

2017年06月26日 (10:21)

幼い子供と遺されて 若い母親をがんで失うということ

フリーアナウンサーの小林麻央さんが幼い二人の子供と夫の市川海老蔵さんのもとから旅立った。乳がんを公表し、病と向き合いながら過ごす日々をブログで発信。家族と共に最後まで自分らしく生き抜いた姿に多くの人が励まされ、全国から心が寄せられた。

その陰で見過ごされがちなのが、「第二の患者」と言われる配偶者や子供のケアだ。昨年の冬、まだ20代だった母親を胃がんで失った父子の思いを聞いた。
「会いたい」「寂しい」と言わない息子

「ママはお空に行っちゃったよ!」

そう言うと、そっぽを向いておもちゃに没頭し始めた長男の岩元優輝くん(3)を父親の吉輝さん(36)は複雑な思いで見守る。

「ママに会いたいとかさみしいとか言ったことがないんです。妻の話になると、ごまかしたり、違う話をし始めたりして、かわいそうだなと思うのですが、どうしたらいいのか…」

二人は最愛の妻であり母である有香さんを昨年2月、29歳の若さで失った。出会って3年、息子が生まれてたった2年。これからもずっと続くはずだった未来が突然断ち切られ、途方に暮れている。

見つかった時には「余命3か月」と宣告

有香さんが食欲をなくし、お腹の張りや痛みを訴え出したのは27歳だった2014年夏のこと。前年秋に出産したばかりで、産後の不調かとしばらく我慢していた。ある夜、強い痛みに襲われ、名古屋市の総合病院の救急外来に駆け込んだ。

翌日、精密検査を受けたところ、医師は深刻な表情でこう告げた。

「スキルス胃がんです。このまま入院しましょう」

早期発見が難しく、若い女性にも多いがん。胃を超えて胆管や肝臓、腹腔内にも広がり、既に取りきれる状態ではなかった。妻のいないところで吉輝さんは、「余命3か月」と宣告された。

「妻は病名を告知されて、息子を抱っこしながらずっと泣いていました。自分は諦めきれないので、がんセンターや大学病院にセカンドオピニオンを聞きに行き、助ける方法を見つけようと必死でした」

大学病院で抗がん剤の臨床試験に参加できることになり、入退院を繰り返しながらの闘病生活が始まった。

両肩にかかる介護と仕事と育児 

特別養護老人ホームの介護職員として不規則な勤務時間で働いていた吉輝さんは介護休暇を取った。副作用に苦しむ妻と1歳になったばかりの優輝くんの世話に専念したかったからだ。貯金頼みの生活が始まった。

「いつ頃仕事に復帰できるのか見通しがつかず、一定額以上の治療費は高額療養費制度で後日戻ってくるとはいえ、一時的に出費はかさむ。病状と共に経済的な問題も不安でたまりませんでした」

収入や貯金がもともと多くはない子育て世代のがんでは、病気になった配偶者や子供の世話と、仕事との間で引き裂かれることがある。

介護休暇が切れる頃、心配した主治医が、「お父さん働きなさい。休んでいたら、本人も治療に集中できないですよ」と言ってくれた。

「結局一緒にいても僕が治療することはできないし、治療にもお金が必要でジレンマを抱えていました。先生が優しい言葉で背中を押してくれたので、『今、僕にできることは働くことだ』と吹っ切ることができました」

同世代のがん患者、相談相手が見つからない

闘病中、吉輝さんは、インターネット検索やSNSで、最新の治療法はないか、同じ思いをしている人はいないか探したが、20代でがんになった人はほとんど見当たらなかった。

現在は自身もがん患者の西口洋平さんが発案した「キャンサーペアレンツ」という子供を持つがん患者が交流できるサイトが作られ、家族も一緒に利用できるようになっている。

だが、当時はなかなか参考になりそうな情報には行きあたらなかった。

「妻も『同世代で話せる人がいない。入院中に抗がん剤治療で出会った人が唯一の仲間』とよく話していました。治療のこと子供のこと、いろいろな悩みがあったはずですが」

患者の配偶者はなおさら悩みを分かち合える場は見つからなかった。妻を失う悲しみや治療法はこれで本当によかったのかという迷い、慣れない育児、仕事や収入の不安。誰にも言えず一人で抱え込んだ。

「周りにはよく『一番辛いのは本人だよ』とか『子供の方がもっと辛いのだから』と言われました。そう言われると自分が頑張らなくちゃいけない、強くならなくちゃいけないと思ってしまう。でも自分も本当に辛かった」


最期の時、弱っていく妻と話せない本音

妻の子供への愛情は病気になって一層強まった。

「『なるべく子供と一緒にいたい』とずっとそばにいたがりました。『お腹の痛みがあるから抱っこできないのが辛い』と言いながらも、できる限り自分で保育園の送り迎えを続けていました」

一時、抗がん剤が効いて体調が上向くと、「思い出をいっぱい作りたい」と息子の好きなアンパンマンを見に高知のミュージアムに行ったり、テーマパークに遊びに行ったりもした。「3人で過ごす一つ一つの時が愛おしい」と喜んだ。


しかし、そんな穏やかな時は長く続かなかった。

2015年冬には手術も試みたがやはりがんは取りきれず、そこから体調は急速に悪化した。最期の時間、有香さんは家で過ごすことを望んだ。

腹水が溜まって痛みも強まったが、本人は「痛みがあっても意識ははっきりしていたい」とモルヒネを拒んだ。優輝くんがはしゃいでベッドの上で飛び跳ね、振動で痛みが増してもそのままにさせていた。存分に甘やかしてあげたいようだった。

そして、吉輝さんは、別れの時がすぐ近くまで迫っているのがわかっていたのに、妻と距離を取ってしまった。

「僕は弱いので、妻が本当にいなくなったら立ち直れなくなる。考えたくなかったんです。僕も妻も、妻がいなくなった後のことは話したくなかったし、話せませんでした」

それでも、動いている姿を映像に残しておきたくて、ビデオを撮った。優輝くんに「パパの言うことをよく聞いてね」と語りかけたビデオ。「疲れるから」とその一言しか残せなかった。

それから数日後、家族が見守る中、静かに息を引き取った。優輝くんは「ママ?」と話しかけても目を覚まさないのを不思議に思っているようだった。
寂しさ、育児、孤立 相談できる妻はもういない

葬儀や手続きで1週間ほど慌ただしく過ごし、親戚がみんな帰った後で、猛烈な寂しさが襲った。しかし、悲しみに浸っている間もなく、息子にご飯を食べさせ、風呂に入れ、寝かしつけなくてはいけない。

息子が体調を崩す度に、早退や休暇を繰り返した。妻の死後、妻の母とは疎遠になり孫の世話は頼れない。昨年夏、名古屋市から自分の実家がある三重県に引っ越し、両親に助けてもらうことにした。

周囲の人は妻が亡くなった直後から、「あなたはまだ若いのだから、またいい人を見つけたら?」と再婚を勧めてくる。幼い子供を持つ男性遺族はよく言われる言葉だ。

「悪気はないと思うのですが、とても傷つきました」

そして今、一番の悩みは育児のことだ。少しずつ息子に母親のことを話そうとしているが、どのように話せばいいのか迷う。

保育園の送り迎えやイベントに父親しか来ないことを息子はどう思っているのか、今後の教育はどうしたらいいのか、同じ園の親たちとはあまりにも違う立場にいるようで話せない。

「夫婦で子供のことを相談し合えるのがどれほどありがたかったのか。アドバイスが聞きたいのではなくて、同じ目線での共感が欲しい」

妻を亡くしてから、小林麻央さんの療養のニュースも辛くて中身を読めなかった。「どうか今、家族と一緒にいる時間を大事にしてほしい」と祈っていた。

吉輝さんが今、最も求めているのは同じ立場の親との交流だ。

「同じような立場にいる若い父親がいたら話をしたい。少しずつ外に出かけていこうと思っています」

求められる幼い子供を持つ家族への支援

若い母親の患者が多いスキルス胃がん患者・家族の会「希望の会」も、今最も大きな課題は、幼い子供を持つ家族への支援だと感じている。

代表の轟浩美さんは「特に孤立してしまうのが若い父親。仕事で忙しい盛りだから、子供の学校や園とのつながりも薄く、地域との付き合いもない。慣れない家事や育児に苦労するのに、親にも心配をかけたくないし、会社でも弱みを見せられない。同世代の友人も幸せに見えて自分が辛くなるので、誰にも相談できずにいます」と語る。

希望の会では、現在、がん患者や家族が一緒に歩くチャリティーイベント「リレー・フォー・ライフ(RFL)」などに参加しながら、全国の若い患者や家族とつながろうとしている。屋外のイベントなので子供づれでも参加しやすい。

先日も青森で開かれたRFLで若い父子の遺族と一緒に参加した。父親は、「妻を亡くして初めて、妻のことだけを想うことができた」と泣きながら歩いたという。死の数日前に妻から「主人をお願いします。一人にしないでください」と電話を受け、誘っていた。

がんになった親と子を支えるケア

「NPO法人ホープツリー」は、がんになった親と子を支える活動をしている団体だ。


子供にがんになったことをどう伝えるか、命の終わりが近づいた時、亡くなった後、どのように子供に向き合えばいいのか迷う親は多い。隠し続けると子供は不安が強まり、疎外感や「自分のせいでがんになった」と誤った罪責感で苦しみ続けることさえある。

ホープツリーでは、親には子供への病気の伝え方や不安を和らげる方法を伝え、闘病中の親を持つ学齢期の子どもを対象とした4日間のグループワークでは、がんを正しく理解してもらい、自分の気持ちを表に出せるよう支援する。

母親がやはり進行した胃がんで手術もできない状態で見つかった小3の男の子は、白い人形に色を塗るグループワークで、人形のお腹をハサミで切り、中に詰まっていた綿を取り出して、真っ赤に塗った。

その日の帰り道、男の子は母親に「なんでがんなのに手術しないの?」と問いかけ、母親は「病状がきちんと伝わっておらず、不安にさせていたのか」と気づいた。改めて子供と話し合ったという。

医療ソーシャルワーカーで、ホープツリー代表の大沢かおりさんは、「子供は親ががんになった不安や恐怖を言語化できないことも多く、『がんが移るから手をつなげなくなった』と大人では考えられない悩みを持っていることもあります。大事な時ですから、親子でコミュニケーションできるように支えたい」と話す。
子供のグループワーク中は親同士の交流もあり、その後も同じグループで集まる「同窓会」も開く。患者さん、配偶者、遺族のグループに分かれて互いの悩みを分かち合う機会になっている。

子供向けのグループワークは東京共済病院で行うホープツリー主催のもののほか、鹿児島県の相良病院、埼玉県の埼玉石心会病院、秋田県の秋田大学(臨床看護学講座)などでも開かれている。


他に、「NPO法人子どもグリーフサポートステーション」は子供を中心とした死別の支援(グリーフサポート)をしている団体をこちらのページに掲載している。

2017年06月26日 (10:00)

海老蔵「手紙代わり、空の上でまおが楽しめるよう」

歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)が26日朝、ブログで、22日に乳がんで亡くなった妻小林麻央さん(享年34)が生前、ほしいと希望していた、長男勸玄(かんげん)くん(4)の人生初の隈(くま)取りと、自らの隈(くま)取りを布に取って、それを麻央さんへの手紙代わりにすると明かした。
「カンカンの人生初の隈取りは前々からまおが欲しいと言っていたので、ママにあげると 私のも以前から欲しいと言っていたので」

 隈(くま)取りを取った布の写真もアップした。布には「勸玄」、「海老蔵」と銘も入っている。

 海老蔵は「これをまおへの手紙がわりにしようかと、これから書き入れます。空の上でまおが楽しめるようにしたためるつもりです」とつづったブログの後、新たにブログを更新し、自らが筆で布に文章をしたためる横で、長女麗禾(れいか)ちゃん(5)が見詰める写真をアップした。「私のも全てを書き込みました。うん」(コメントは原文のまま)とつづり、布の上にピンク色の一輪の花を置いたのを、勸玄くんが立ったまま、じっと見詰める写真もアップした。

2017年06月26日 (09:59)

小倉智昭氏、麻央さん悼む「麻央さんも海老蔵さんも本当に苦しい毎日だったと思います」

 26日放送のフジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜・前8時)では、乳がんと闘いながら22日に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)の人生を特集した。

 小倉智昭キャスター(70)は「進行性のがん、手遅れのがんは(不幸な)先を見がちじゃないですか。麻央さんも海老蔵さんも本当に苦しい毎日だったと思います」とポツリ。

 その上で麻央さんの遺志を引き継ぐ決意をブログなどで表明している夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)を「家族を失うのは辛い。特に若い連れ合いでお子さんも小さいと、より一層、辛さが押し寄せるのでは…」と思いやった。

2017年06月24日 (21:16)

亡き妻、麻央さんに重ねた 「はなちゃんのみそ汁」作者

「麻央さんはブログを通じ、病で苦しんでいる人たちを笑顔にしたかったのだと思う」。小林麻央さんの死去を受けて、「はなちゃんのみそ汁」(文芸春秋)を家族で著した福岡市の安武信吾さん(53)が取材に語った。信吾さんは、2008年に乳がんで33歳で亡くした妻を小林さんに重ねた。

妻の千恵さんもブログを書いていた。「最初はがんであることを人に言わなかったが、ブログを書き始めてふっきれたのか、明るくなった」と振り返る。「気持ちをはき出し、受け止めてもらって。『分かち合い』ができたのが大きかった。麻央さんもそうだったのでは」

 千恵さん亡き後、信吾さんは茫然自失(ぼうぜんじしつ)の毎日を過ごした。未来が全く描けなくなった。自分を取り戻すきっかけとなったのは、長女はなさん(14)が作るみそ汁だった。千恵さんが「1人でも生きていけるように」とはなさんに教えたもの。安武さんの話にじっと耳を傾けてくれた周囲の存在も大きかったという。

 千恵さんが亡くなった当時5歳だったはなさんは、昨年10月、小林さんに宛てた手紙をしたためた。「我が家と一緒だと思って。メッセージを送りたかった」とはなさん。「食べ物の力はすごいです。麻央さんも、しっかり、ご飯を食べてくださいね。(中略)病気が治ることを祈っています」と書いた。

 はなさんは「(麻央さんの子どもたちに)かわいそうにって言わないで」と願う。母がいなくて寂しく思った時はもちろんある。「でも、パパがいるし、ママは体はないけど、いる。かわいそうって言われるのがすごく嫌だったし、今も嫌です」と話した。(山下知子)
.
朝日新聞社

2017年06月24日 (21:14)

神田うの、小林麻央さんの訃報に眠れず 「本当に優しく愛くるしい女性だった」

タレントの神田うのが「美しい麻央ちゃんへ」というタイトルでブログを更新した。22日夜に死去したフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)と、その姉であるタレント・小林麻耶との思い出を振り返っている。

24日に日付が変わってから更新された『神田うのオフィシャルブログ「UNO Diary」』によると、前日は「同じ母親として今日1日ずっとずっと心が泣いていました」と愛する我が子を残してこの世を去った小林麻央さんを思い、悲しみに暮れていたという。深夜になってもなかなか眠ることができず、ブログに彼女への思いをしたためた。

ある日、フジテレビで収録があった神田うのは、楽屋前の廊下で別番組の収録で来ていた小林姉妹と初対面したという。「大学生の頃、うのさんがデザインしたストッキング愛用していました!」「憧れのうのさんに会えて嬉しいです!」と自分のもとに駆け寄り、キラキラした目で話しかけてきた2人。この言葉に感激した神田は、自分の楽屋にあった手持ちのストッキングを2人の楽屋に届けた。すると麻耶も麻央さんも大喜びで、神田はその時の2人の表情が今でも忘れられないようだ。

「麻央ちゃんは初対面の人をも幸せな気持ちにさせてくれる、本当に優しく愛くるしい素敵な素晴らしい女性だった」と振り返りながら、その後乳がんを患い闘病生活に入ってからの彼女のブログに「勇気と励ましも沢山頂きました」「本当にどうもありがとう」とお礼を述べている。

一般人だけでなく、芸能界にも小林麻央さんのブログを愛読している人は少なくなかった。彼女の生前最後となる投稿には2万件を超すコメントが届いているが、投稿が多すぎて前日の分も未だ表示が追いつかない状態になっているようだ。
(TechinsightJapan編集部 みやび)

2017年06月24日 (20:51)

櫻井翔さんは涙…小林麻央さん死去に芸能界から悲しみの声

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)の妻で、乳がんで闘病中だった小林麻央さんが34歳の若さで亡くなった。麻央さんと親交のあった、櫻井翔さん(35)ら芸能界の仲間たちから、悲しみの声が寄せられている。

夜のニュース番組で、3年半一緒に過ごした嵐の櫻井翔さん。麻央さんの訃報に接し、「この度は、小林麻央さんがお亡くなりになったということで、心よりお悔やみ申し上げます。ただただ...ただただ、残念だという言葉に尽きますけれど...」と言葉を詰まらせながら語った。

「小林麻央さんは、NEWS ZEROの初回の時からおよそ3年半、ご一緒させていただいておりました。NEWS ZEROという番組は、本当に温かい番組ですので、出演者スタッフ含めて、『ZEROファミリー』と呼んでいます。ですので、まさにそのファミリー...。家族を失ったような気持ちでいっぱいです。ZEROキャスターの村尾さんをはじめ、出演者全員、スタッフ一同で、手書きでメッセージも送っていまして、少しでも良くなるようにと願っていたところでしたので、悔しいですね。...ごめんなさい、以上です」と語った。

同じニュース番組でキャスターを務める村尾信尚さんは、「あまりにも早く逝かれたな、という思いでした。天の非情といいますか、それを強く感じました。本当に麻央ちゃん、苦しかっただろうし、つらかっただろうと思うんだけど、麻央ちゃんと一緒に、若い世代で日本を変えていこうという強い思いで、2人でニュースを伝えてきたのですが、そのことに対してわたしは、誇りに思います」と語った。
麻央さんの結婚式で「Jupiter」を披露するなど、以前から親交があった歌手の平原綾香さん(33)は23日、ブログで、麻央さんへの想いを次のようにつづった。

「本当に大好きでした。いろんな思い出があって、1つ1つがかけがえのない瞬間だったと、今、かみしめています。ご家族の方々のお気持ちを思うと、何も言えませんけれど、麻央さんはこれからもずっと、わたしたちの中にいます。これからもずっと大好きです」

タレントのモト冬樹さん(66)は「海老蔵君、ご家族の心中、お察しします」とブログにつづったほか、お昼の情報番組「バイキング」の司会・坂上忍さん(50)は、麻央さんの訃報に接し、涙をこらえ絶句した。

海老蔵さんの舞台をたびたび演出してきた宮本亜門さん(59)は「麻央さんは、怒濤の最終舞台稽古の時も、最前列の一番端の席に座り、まるで観音様のような温かいまなざしで、海老蔵さんや皆を見守っていました。これからもご家族を見守ってあげてください」としている。

闘病中の麻央さんに、ブログを通して、これまでたびたびエールを送ってきた教育評論家の尾木直樹さん(70)は「最期に麻央さんが、海老蔵さんに『愛してる』と最後の一言を言って、息を引き取ったとおっしゃっていましたけど、その愛でつながっている、結ばれているのは、すごく強いと思うんですね。だから、その愛を大事に、これからも育んでいってほしい」と語った。

2017年06月24日 (20:39)

「がんの陰に隠れないで」続けた300日の闘病記 小林麻央さんが遺した言葉

乳がんで闘病していたフリーアナウンサーの小林麻央さんが、6月22日夜に亡くなった。34歳だった。
夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは23日に会見。妻への思いを語った。
海老蔵さんの会見でも話題に上ったのが、小林麻央さんの「ブログ」だ。

「(麻央さんは)“多くの人の救いになれるような存在になりたい”ということでブログを始めた。ブログで同じ病に苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合う妻の姿は、私からすると、すごい人だなあ、と。愛を教わりました」

小林麻央さんがブログ『KOKORO.』を開設したのは、2016年9月。2017年6月20日に公開された最後の記事まで、約350回の更新があった。

がんになった著名人が病気の経過をリアルタイムで公開するのは、珍しいケースだ。ブログ開設について、海老蔵さんら家族も驚いていたという。

海老蔵さんはその驚きを、自身のブログ『ABKAI』の『まおのきもち』という記事で次のように述べている。


まおのきもち、

聞いた時、

私としては青天の霹靂、

目から鱗でした

が、

それを願うのなら、

と…

(出典:『まおのきもち』)

しかし、麻央さんの決意は固かった。きっかけとなったのは、麻央さんを担当する「緩和ケアの先生」の一言だったという。

2016年9月1日に公開された最初の記事は『なりたい自分になる』というタイトルだった。そこでは、麻央さんがブログを開設するまでの経緯が報告されている。


当初、麻央さんは自身のがんについて「誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、、、」という思いだった。しかし、マスメディアの報道が先行してしまう。

「乳がんであることが突然公になり、環境はぐるぐる動き出し」た。そんな麻央さんを動かしたのは、「先生」のこんな言葉だった。


「癌の陰に隠れないで」

(出典:『なりたい自分になる』)

この言葉によって、麻央さんは、「癌患者というアイデンティティー」が「心や生活を大きく支配してしまっていた」ことに気がついたという。


私は

力強く人生を歩んだ女性でありたいから

子供たちにとって強い母でありたいから

ブログという手段で

陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。

(出典:『なりたい自分になる』)


こうして始まったブログでは、何が語られていたのか。麻央さんが私たちに残したメッセージを紹介する。

「かつら」を巡る夫婦のたわいないやりとり。「ネイル」を楽しむ姿も。
抗がん剤の影響で髪が抜け、かつらをかぶることにした麻央さん。2016年9月2日の記事『かつら』では、金髪のウィングを試して、家族から「!!き、き、きんぱつー!?」というリアクションを期待した。しかし、家族は意外にもそれをすんなり受け入れたというエピソードを紹介している。

続く9月3日の記事『かつら2』では、長髪のウィッグを試してみた結果、「アグネスチャンさん??」と言われたことを紹介。9月15日には、なぜか海老蔵さんが麻央さんのかつらをかぶるという展開もあった。海老蔵さんは「案外似合う… マオの笑顔が私の宝、」とコメントしていた。

抗がん剤は爪に影響することがある。2017年1月には、「しばらく無関心になっていた」ネイルをして、「爪に 愛情向けられて 良い気分」だったという。


私は、


抗がん剤による爪の変色と変形は、

足の親指だけでした。

傷んでしまった部分も、

がんばって変わらない部分も、

みんな自分なので、

いたわりたいです。

(出典:『ネイル』)

しかし、時には不安な心の内を吐露していた。ふとしたときに意識する病気のこと。

2016年9月4日、麻央さんは「後悔していること、あります」として、次のように述べた。


あのとき、

もっと自分の身体を大切にすればよかった

あのとき、

もうひとつ病院に行けばよかった

あのとき、

信じなければよかった

あのとき、、、

あのとき、、、

(出典:『解放』)

麻央さんは以降のブログで、病気発見から告知までの経緯を断続的に紹介している。

海老蔵さんに同行した人間ドックで「左乳房に腫瘤」が発見されたこと、そのしこりについて、一度は「がんを疑うようなものではない」と診断されたこと、半年後の検査で、別の場所にしこりがあるとわかったこと、そして、やはり乳がんと告知されたことなどを告白した。

「これからどうなるんだろう」と途方にくれた心境を、麻央さんは次のように表現している。


こんな時でもお腹がすいた。

さすが私。

ふらりとお店に入り、

ジェノバパスタを頼んだ。

ソースが少ない、パッサパサのパスタ。

なんて、まずいのだろう。

涙を流すには丁度良い味だった。

まずい。

まずい。。

まずい。。。

まずい。。。泣 泣 泣 泣

涙が止まらなかった。

(出典:『まずいパスタ』)


がんであることを意識する、ふとした瞬間の描写もある。病室で検査のための処置をされたときのこと。



その先生が、あまりに美しく、

洗練された手つきのため、

まるでドラマのワンシーンのように

思えてくる。

次に、

太い注射針のようなものを刺して、

パッチン! ! パッチン!!

と、

細胞を採取する音で、

一気に現実に引き戻された。

ドラマなんかでなく、

現実なんだ。。。

私、癌なんだ。

(出典:『10 現実』)

それでも、麻央さんは決して諦めなかった。不安になれば、また決意を取り戻す。

約10カ月の闘病記からは、寄せては返す波のように、落ち込み、奮起する麻央さんの姿が、率直な言葉で浮かび上がる。


2016年10月3日には、自分の病気について「一般的には、根治は難しい状態と言われるかもしれません」としながらも、「私はステージ4だって治したいです!!!」と強く訴えた。


だから、

堂々と叫びます!

5年後も

10年後も生きたいのだーっ

あわよくば30年!

いや、40年!

50年は求めませんから。

だって

この世界に 生きてる って

本当に素晴らしいと、感じるから。

(出典:『心の声』)

2016年11月3日の記事『疲れる』には、よく訪れるという公園で、ふとした瞬間にこみ上げた感情がリアルに書き置かれている。


強烈に、想いました。

生きたい。

もっともっと思い出をつくりたい。

今までの光景が

パラパラ漫画のように心に流れて、

このずっと先のページにも

いたいと、強烈に感じました。

どうしたら、その願いが叶えられるか、

どこに方法が隠されているのだろう。

隠されてなんかいないのに、

気づけないだけだろうか。

(出典:『疲れる』)

残念なことに、麻央さんの願いが叶うことはなかった。

麻央さんのブログのうち、大部分を占めていたのは、やはり家族のことだった。

がんであることがわかったとき、家族に対しては、まず「ごめんね」と思ったという。


ごめんね。

病気になっちゃった妻で。

病気になっちゃった娘で。

病気になっちゃった妹で。

(出典:『18 家族からの着信』)

麻央さんと海老蔵さんには、長女・麗禾(れいか)ちゃん(5歳)と長男・勸玄(かんげん)くん(4歳)がいる。

2016年11月27日には、「今後の治療」についての真剣な「話し合い」をする夫妻を、お子さんが気づかう場面もあった。


そうしたら、

娘が

私のところへやってきて、

耳元で

「パパに何も言わないで。

パパはママのこと

愛してるんだから」と。

真剣すぎる空気に、

娘からの心遣い。。。

(出典:『家族のかたち』)

しかし、時には家族に対して辛く当たってしまうことも。


家族が

私の食欲や痛みについて 心配し、

色々提案してくれたとき

「私の身体は私が一番わかってるから」

と言ってしまいました。

「うん。そうだよね!」と

優しく返されましたが、

病室で ひとりになり、

家族にとっては

悲しい一言だったのではないかと、、、

(出典:『眠れない夜のひとりごと』)

34歳の、母でもあり、妻でもあり、妹でもあり、娘でもある女性。麻央さんは数々のメッセージを家族に向けて送っていた。

麗禾ちゃんと勸玄くんにはこのように。



今日も

子供たちふたり、仲良く遊んでいる

と主人から聞き、うれしい朝でした。

私は姉妹で育ってきたので、

異性の姉弟って想像しずらいのですが、

大きくなっても

相談し合えたり、助け合えたりする

姉弟でいて欲しいと願っています。

(出典:『姉弟』)

姉である小林麻耶さんにはこのように。


私の幸運のひとつは、

姉の妹に生まれたことだと思っている。

(出典:『姉』)

母親にはこのように。


今日は、主治医の先生とのお話で、

母が一緒に病院へ来てくれました。

安心する反面

悲しい思いをさせたくないから

あまり一緒に来たくないという

複雑な娘心があります。

(出典:『母』)

また、海老蔵さんの母である堀越希実子さんには、このように。


母の本。

「私が伝統を伝える相手は

麻央ちゃん」

という母の言葉があった。

まだ何も受け継げていないまま

病気になり、

闘病で時が過ぎていくことを

悔しく思う。

(出典:『母の日』)

そして、夫である海老蔵さんは、頻繁に麻央さんのブログに登場していた。2017年1月9日に放送された日本テレビ系特番『市川海老蔵に、ござりまする。』のインタビューで、麻央さんは涙ながらに、次のように語った。


「主人と結婚したからこそ、今私はこうやって生きていられる」「そうじゃなかったら、もう心が死んじゃっていたかもしれない」

6月23日の記者会見で、海老蔵さんは麻央さんの最後の言葉が、海老蔵さんに向けた「愛してる」だったことを明かした。

麻央さんのブログは、2017年6月までに200万人以上から読者登録された。閲覧回数で言えば、それよりもはるかに大きな数になるだろう。

麻央さんは、3月18日、がん患者の訃報について言及した。


闘病されていた方の訃報にふれると


自分のなかのどこかの小枝が

ポキって折れるような気持ちになります。

(出典:『ふと、、、』)


だから

私も 癌を公表しているものとして

少しでも長く生きていきたいです。

(出典:『ふと、、、』)


このことへの配慮か、海老蔵さんは6月23日の記者会見で、「ずっと麻央はみなさんの側にいると思うので」と、麻央さんを応援した読者に感謝を伝えた。

最後の更新となった記事の内容は、麻央さんの母が絞るオレンジジュースの味への感想、そして読者へのメッセージだった。



今、口内炎の痛さより、オレンジの

甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!

朝から 笑顔になれます。

皆様にも、今日 笑顔になれることが

ありますように。

(出典:『オレンジジュース』)

ブログ開設からの麻央さんの活動には、世界からも注目が集まった。英BBCに寄稿した『がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」』という記事には、「死」についての言及がある。もし、今回のニュースで麻央さんを「かわいそう」だと思った人がいれば、ぜひ一度、目を通してほしい。



人の死は、病気であるかにかかわらず、

いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

2017年06月24日 (20:17)

麻央さん“生きる源”になっていた「前向きさ」が多くの人に勇気

22日夜に東京都内の自宅で乳がんのため亡くなっていたことが23日に分かった、歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)の妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)。本紙で「病気のサイン」を連載している石原結實医師は、麻央さんの明るさや前向きさが本人の“生きる源”になっていたはずだと話す。

「進行具合などから考えると、むしろここまで頑張れたのは奇跡的だと思います。やはり、このような闘病生活になると家族の支えはもちろんですが、本人の前向きな気持ちが大いにかかわってきますので」

 会見で海老蔵が語っていたように、麻央さんは同じ病気に苦しむ多くの人たちに、少しでも勇気を与えようと前を向きブログを更新し続けた。

 ブログの中で「もっと自分の体を大切にすればよかった」「もうひとつ病院に行けばよかった」「信じなければよかった」などと麻央さんは、後悔の念をつづったこともある。これは、2014年2月の人間ドックで左乳房に腫瘤(しゅりゅう)が見つかった後、最初に診察した医師の「授乳中のしこりなので心配ない」という言葉を信用したことと、その際「半年後にもう一度検査」と言われたのに、10月になってしまった(そこでがんと診断された)ことを指している。

 女性の11~12人に1人が乳がんになる時代。ブログを見た女性たちは、麻央さんの後悔を無駄にしないよう、定期的な検査や複数の意見に耳を傾けようと思ったに違いない。

 厳しい病状から、ここまで頑張れないことの方が多いという石原医師。奇跡的に命の火を燃やし続けられたのは、海老蔵をはじめとする家族みんなの愛と、麻央さん自身の多くの人に向けられた愛の力によるものだったのだろう。

2017年06月24日 (20:00)

小林麻央さん死去 改めて考える「乳がん」早期発見の大切さ

乳がん闘病中だった、フリーアナウンサーの小林麻央さんが6月22日、34歳という若さで亡くなりました。


小林さんについては、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが2016年6月、記者会見を開き、乳がん闘病中であることを公表。小林さんは同9月から「闘病ブログ」への投稿を始め、同じ病気で苦しむ人など多くの読者を引きつけてきました。

 海老蔵さんが23日に行った会見で、小林さんの最期の言葉が「愛してる」であったことを明かすなど、その悲しみは社会全体に広がっています。

 改めて、小林さんが闘った「乳がん」とはどのような病気なのか――。オトナンサー編集部では、乳腺診断の専門家として2006年以降、約1500件の乳がんを診断しているベルーガクリニック院長の富永祐司さんに聞きました。
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女性の「12人に1人」がなる病気

 乳がんは、女性の罹患数が最も多いがんとして知られます。女性の12人に1人がかかると言われ、国立がん研究センターによると、2012年は国内で約7万4000人が罹患したと推計されます。

 一方で、治療後の生存率はほかのがんに比べて高く、同センターなどの研究によると、がん全体の10年生存率(2000~2003年に診断された患者)が58.5%であるのに対し、乳がんは81.7%という結果でした。

「つまり、乳がんは早期に発見できれば治癒が見込めるがんと言えます。特に日本は他国に比べて、乳がんの死亡率が低いのです」(富永さん)
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早期発見へ、乳がん検診を欠かさずに

 乳がんの症状は「脇の下や乳房にふれるしこり」「乳房にできるくぼみ」「乳頭や乳輪部分の変化(湿疹やかぶれ)」「乳頭からの血の混じった分泌物」などで、治療法としては「手術」「放射線療法」「薬物療法」「内分泌(ホルモン)療法」「化学療法」「分子標的治療」があります。

 がんは、病変がどの程度広がっているかを基準に「病期(ステージ)」が決まりますが、乳がんにおいてステージ「0」~「2」は「早期がん」とされ、乳房を温存できる可能性が高い一方、「3」以降は原則的に乳房全切除の対象となります。

 なおステージごとの10年生存率(2000~2003年に診断された患者)は「1」=95.0%、「2」=86.2%、「3」=54.7%、「4」=14.5%です。

 小林さんは2014年10月に乳がんと判明。その後、骨や肺への転移もわかりましたが根治手術はせず、今年1月から自宅での療養生活を開始しました。実に、2年半以上に及ぶ闘病生活の末の最期となった形です。

 富永さんは「乳がんは早期発見することにより、治癒の確率が高まるがん。年1回のマンモグラフィーとエコーを併用した乳がん検診を、欠かさず受けることが大切です」としています。

2017年06月23日 (16:41)

麻央さん、海老蔵に「愛してる」と言って旅立つ

がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが34歳の若さで死去したことが23日、明らかになり、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が同日、東京・渋谷のシアターコクーンで会見した。海老蔵は前夜に麻央さんが「愛してる」と言って、息を引き取ったことを明かした。
海老蔵は前日22日の同劇場での公演後、別の稽古があり、終わった後に麻央さんの母親から「具合がわるい」旨の連絡が入っており、急いで自宅に戻ったという。

 麻央さんにつきそうと、うまくしゃべれない状態だったというが、海老蔵は「不思議なことなんですが」と振り返りながら、麻央さんが最後に「愛してる」と言って、旅だったことを明かした。

 海老蔵はこの日正午から、同劇場で自主公演「ABKAI2017~石川五右衛門 外伝~」昼の部を気丈に演じ切った後に会見に臨んだ。

2017年06月23日 (16:35)

若くして「がん」に。死に直面したサバイバー達がいま伝えたいこと

がんに直面して、人は何を思うのか

早期がんでも、進行性がんでも、自分のがんに直面して死を意識しない人は恐らくいないだろう。がんを患ったことで苦しい治療を乗り越え、自分の命と真正面から向き合って、大きく人生観を変化させた人たちがいる。一体、彼らの心中にどんな変化が起きたのか。2人のがんサバイバーに話を伺った。


みんなと同じように食べられない苦しみ

1人目は、現在日経BP社でマーケティング戦略研究所上席研究員を務める品田英雄さん。ラジオ局でディレクターを務めたのち、週刊誌創刊のため日経マグロウヒル社(現・日経BP社)へ1987年に入社。翌年の創刊直前、31歳で胃がんが発覚する。胃を全摘して職場へ復帰。現在まで再発なく、今年でがんサバイバー歴30年を迎える。がんを経験して、どんなことを得たのだろうか。

「ある日、同僚と飲んだ帰りに暗い場所で吐いたんです。その時、少し血が混じっているような感じがして、医療センターへ行くと十二指腸潰瘍の診断を受けて入院を余儀なくされました。その後、精密検査で胃がんが判明しますが、当時は本人ではなく家族への告知が主流だったので、私ががんを知ったのは手術後でした」
がんの罹患部は胃の上部だったため、手術で胃を全摘。ロールーワイ法という再建術で、品田さんの食道と小腸、小腸と小腸がつながれ、十二指腸側は閉鎖された。

「がんを知らされてショックでしたが、それ以上に胃がなくなった苦しみが大きかった。食事をすると食べ物が一気に小腸へ到達するため、ダンピング症候群(発汗、動悸)を起こしたり、食べ物が逆流する逆流性食道炎も併発してとても苦しかったですね」

がんの治療は順調に進み、3週間後には退院。再発防止の抗がん剤(錠剤)を飲みながら、職場へ復帰した。しかし食べる時間が変則的になり、みんなと一緒に食事に行くことは難しくなった。1度に食べられる量も減り、62kgあった体重は52kgまで減少。痩せる恐怖や栄養を取れない不安にも襲われた。

「栄養を摂ろうと高カロリーの食事ばかり食べた時もありましたが、体に悪いことはするべきではないと気づいて。がんになった原因は、それまでの生活スタイルや考え方に不自然な部分があったから。ラジオ局では激務をこなしていたし、小さい頃から体が弱かったことを忘れ、お酒や夜更かしなど健康から程遠い生活をしていました。がんを経験して、再発の怖さやその他の病気にも敏感になり、食生活や運動など、体にいいことを心がけるようになりました。正直、いまの僕は健康オタクといっても過言ではないですね(笑)」

こうした肉体的な苦しみと並行して、精神的な悩みも生じた。入院期間中、自らの体験に加え、仲良くなった入院患者が亡くなる様子を目の当たりにしたことや、復帰後に職場の後輩を肝臓がんで亡くしたことで、死をとても身近に感じるようになる。

「昨日まで元気でも、あっという間に終わりを迎えてしまう人間の儚さを知り、“生きる”とは一体どういうことなのか?と、真剣に考えるようになって。人生はいつ終わるかわからない、だから納得のいく人生を送りたい、と思ったんです。職場に対しては、病気になった自分を再び受け入れてくれたことに対する感謝の気持ちがあって、復帰後はそれまで以上に一生懸命取り組んでいましたね」
その後、1997年に月刊誌『日経エンタテインメント!』を無事に創刊させ、編集長として意欲的に仕事に取り組む一方で、人生は仕事がすべてじゃないと思う気持ちも生じていた。仕事とプライベートを分けて考えるのではなく、人生のすべての時間を楽しんで生きたいと願った。

「あれから30年経ちますが、いまは精神的な安らぎと食事、運動の3つでバランスをとり、体と対話しながら、いつも心地良い状態でいられるよう調整しています。がんの治療中もそうですが、生きる上では心を落ち着かせることが大切。アメリカでは、がんに打ち克つ!なんて精神があるけれど、それは力み過ぎな気がします。力を抜いているけれど、前向きな気持ちを保っていくという精神が日本人の性には合っているような気がしますね」

品田さんが創刊させた「日経エンタテイメント!」は、すでに20年目を迎える。品田さんはがん治療を乗り切り、創刊誌を成功させた後、テレビのコメンテーターやラジオパーソナリティーとしてさらなる活躍を遂げた。もちろん、がんにはならないに越したことはない。しかし、品田さんはがんをきっかけに、体の健康や心の安定、仕事や生き方と真正面から向き合い、いまも自らが納得のいく人生を送っている。

がん治療で腎臓を失い、人生の夢を見つけた

2人目は、東急エージェンシーで勤続10年目を迎える軍司和久さん。22歳で精巣腫瘍を告知された。幼少期に患った骨髄異形成症候群の影響で、腫瘍摘出手術後の抗がん剤治療が難航するも、最終手段として行った転移部の摘出手術が成功。告知から1年後には、大学院に復学し、東急エージェンシーに就職。現在、がんサバイバー歴13年を迎える。若くして死に直面した経験を糧に、将来の夢も見つけたというポジティブな体験談を聞いた。

「大学院に入って間もない5月に激しい腹痛が1週間ほど続き、泌尿器科で検査をしたところステージ3Aの精巣腫瘍と告知されました。後腹膜リンパ節と腎臓に転移があり、腹痛を引き起こしていたのです。いきなりのことでショックを受けた一方、異常な腹痛の原因はがんだったんだ、と冷静に受け止めている自分もいました。5歳の頃、白血病になる可能性の高い骨髄異形成症候群を患い、子供心に死を覚悟していた時期があって。それ以来、悔いのないように生きようと思ってきたので心構えはできていたのかもしれません」

告知から3日後に手術を予定していたが、治療方針について主治医の知識に不安を感じたという軍事さん。インターネットで治療法を調べたところ、「BEP」という3種の抗がん剤治療が主流のなかで、2種の抗がん剤を使う「EP」という40年前の治療法を提示されていることに気づく。

「セカンドオピニオンが必要だと感じ、初めの病院で摘出手術だけを受け、がんセンターを再受診したところ、他の病院では助からないほど進行していることを告げられました。ただ、『これまで診た進行性精巣腫瘍に罹患した14人の患者さんは、BEP治療でいまも全員生きているから大丈夫、頑張ろう』と先生に言われ、すごく勇気付けられました」

そこから薬剤投与が始まるも、骨髄異形成症候群の影響で強い抗がん剤を投与できず、通常の4クールを越えて6クールまで行ったが治療の成果はあまり見られなかった。骨髄のダメージが酷く、これ以上の抗がん剤治療は難しいという主治医の判断のもと手術に踏み切り、片方の腎臓全する摘など転移箇所を切除した。

「死を覚悟した時期もありましたが、ポジティブな人間なので悲観はしなかったですね。むしろ、22歳でがんを経験したことは自分の強みだと感じ、この若さで死に直面した自分がどう感じるかを発信したいと思ったんです。闘病記としてブログを始めると、勇気付けられた、感動した、と大きな反響をもらうようになり、1日1000アクセスを記録するまでに。ブログを見た知らない人がお見舞いに来ることもありました」

自分の闘病記が見ず知らずの人の心を動かした経験を経て、いつ死んでも悔いはないと思ったという。手術後、2年以内に再発する可能性は70%と告げられるも、寛解。翌年の4月には大学院へ復学し就職活動も成功して、現職場で10年目を迎える。

「いまは腎臓が片方しかないので、がん治療後は激しい運動ができなくなりました。それでも、世の中では健常者として生きていなければいけない。がんサバイバーとして、がんになった人の競技があったらいいなと思うようになりました。がん患者のオリンピックを作りたいという夢を持つようになって、就職活動の面接でも話しました。まだ実現はしていませんが、がんになってよかったと思える人が増えるスポーツをいつか作りたいと思っています」

若くしてがんと向き合ったことで、大きく人生が変わったという軍司さん。ポジティブな思考が、前向きな行動を生み出し、自分の人生をも好転させた。もちろん健康でいるにこしたこはないが、がんは人生観を一変させるような感情をもたらし、多くの人が悔いのない人生を送るべきということに気づく。それは、病からの貴重な贈り物なのかもしれない。
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文=井上真規子(verb)/ 人物写真=片桐 圭

2017年06月23日 (16:14)

麻央さんとドラマ共演の松本莉緒「あなたの分もしっかり生きます」

女優の松本莉緒が23日、インスタグラムを更新し、乳がんのため亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さんについて「麻央ちゃんを想ってます」「涙が溢れてきます」とつぶやいた。松本と麻央さんは05年にDVDで発売されたドラマ「東京フレンズ」で共演していた。

松本は、木の間から日光が差し込む青空の写真をアップし「今。母からmailが届き、知りました。麻央ちゃんのことを想ってます」とつぶやいた。

 松本と麻央さんは05年に、歌手の大塚愛主演で発表されたDVDドラマ「東京フレンズ」で共演。松本と麻央さんは主演の大塚の友人役として登場している。

 松本は「麻央ちゃんが初めて演技をした時。立ち位置がわからなくて、手を引っ張ってココだよって教えてあげました」「何度もテイクを重ねて、スタッフさんへ申し訳ないと終わって涙してた姿にみんなでもらい泣きしちゃって」と、麻央さんの人柄がにじみでるエピソードも明かした。

 「同じ年として同じ作品に携わった共演者として。女性として人として。。あなたの分もしっかり生きます」と約束。「去年も事務所やマネジャーさんに連絡していたんだけど…繋がらなかったんだ…ずっとblogは見てたよ。本当はちゃんと、会って伝えたかった。何か力になりたかった」と早すぎる別れを惜しんだ。

2017年06月23日 (15:47)

小林麻央さん死去 「がんが憎い」三原じゅん子参院議員がブログで発信 自らも闘病経験 歌手の平原綾香さんは長文の思い出綴る

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)の妻で、乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが死去したことが分かった23日、自民党の三原じゅん子参院議員(52)は、「がんが憎い」と題したブログで「ショックで涙が出て来た。ご家族のこれからを思うと無念でしょう。小林麻央さんの笑顔を忘れません。合掌。」と短い文章に無念さを込めた。

 三原議員は、子宮頸(けい)がんで闘病生活を送った経験などから、子宮頸がん予防ワクチンの接種・検診の無料化など医療・福祉を中心に政治活動を行っている。

 漫画原作者の小池一夫さん(82)はツイッターに「小林麻央さんがお亡くなりになった。テレビやネットでしか知らない方だけれど、とても悲しい。しかし、小林麻央さんのように有名な方でなくても、毎日毎日、病と闘っている方々は沢山いる。自分も含め、その闘っている人たちが、戦いに勝てることを心から祈る」と投稿した。

 また、歌手の平原綾香さん(33)はブログに「小林麻央さん」と題し、「思い出のすべてが宝物です」と思いのたけをつづった。平原さんのブログ全文は次の通り。

 「小林麻央さん 本当に大好きでした いろんな思い出があって 1つ1つが かけがえのない瞬間だったと 今 かみしめています」

 「麻央さんと長岡花火の復興祈願花火 フェニックスを取材して 一緒に泣いたこと 麻耶さんと一緒に コンサートに来てくださったこと 麻央さんのリクエストで 結婚披露宴とコンサートを生中継で繋いで Jupiter を歌わせていただいたこと お着物姿で、事務所まで ご挨拶に来てくださったこと 思い出のすべてが 宝物です」

 「ご家族の方々のお気持ちを思うと 何も言えません けれど  麻央さんは これからもずっと 私たちの中にいます 麻央さん 本当に 本当にありがとうございました これからもずっと 大好きです」

 「昔 麻央さんからいただいた モコモコのパーカー 今でも  大切に着ています どうか ずっと見守っていてください」

2017年06月23日 (15:31)

麻央さんの所属事務所「本当に優しいお人柄でした」

乳がん闘病の末に亡くなった小林麻央さんの所属事務所「セント・フォース」が23日、マスコミ各社にファクスでコメントを発表した。
久保地美晴社長の名前で文書を発表し「昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました」と報告した。

 生前の麻央さんの人柄や、仕事ぶりについても触れた。「いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした。アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせていただいたのは、本当に幸せでした」とつづった。

 また、昨年6月に病気を公表後、ブログをはじめ、多くのファンが闘病を応援していたが「皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当にありがとうございました」とした。

2017年06月23日 (15:11)

ホクロはがん化する?実は例外的なんです


【Q】足の裏に5年前からホクロができています。がんではないか心配です。(40代女性)   【A】ご心配されているのは、悪性黒色腫ではないか、ということですね。

 まず、ホクロについて説明しますと、年齢ごとに全身のホクロの数を計測した研究があり、それによると、ホクロの数は年齢とともに増加し、40代がピークで、そこから減少していきます。つまり、ホクロは新しくできるものと自然に消えるものとがあり、40代までは前者が優位である、ということです。

 すなわち、成人になってからできたホクロであるから悪性、ということではありません。上述したようにホクロ自身も変化するものであり、色調の変化、サイズ・高さの変化も見られますから、そのような変化が見られたから悪性、ということにもなりません。

 そもそもホクロががん化するか、についてですが、最近の知見では、20センチ以上の大型先天性色素性母斑からは5%程度の確率で悪性黒色腫が発生するが、それ以外について、がん化は例外的と考えられています。すなわち、ホクロは最初から最後までホクロ、悪性黒色腫は最初から悪性黒色腫ということであり、ホクロから悪性黒色腫になる確率は正常皮膚から悪性黒色腫が発生するのと同じ確率、ということになります。

 さて、足の裏は日本人の悪性黒色腫の好発部位でもあるのですが、足の裏は日本人のホクロの好発部位でもあり、しっかり鑑別する必要があります。皮膚科専門医は、既往歴・発症年齢・変化の有無を問診し、サイズを計測した上で、ダーモスコピーという専用の拡大鏡で患部を観察します。

 これにより、典型的な良性の所見であればホクロでありフォロー終了、典型的な悪性の所見であれば悪性黒色腫であり摘出手術、良悪性の鑑別が困難な所見であれば全切除生検(患部を切除して組織検査)ないしは短いスパンでの重点的な経過観察となります。まずは皮膚科専門医にご相談ください。

 ◆回答者プロフィール 櫻井直樹(さくらい・なおき)02年、東大医学部卒。東大付属病院、関連病院に勤務後、美容外科クリニック勤務を経て千葉県松戸市にシャルムクリニック開設、他院皮膚科顧問も歴任。皮膚科専門医、レーザー専門医。
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2017年06月23日 (15:07)

小林麻央さん逝去に がん専門医が思うこと

フリーアナウンサーで乳がん闘病中だった小林麻央さんが、22日夜亡くなったと報道された。まず初めに、深い哀悼の意を表明するとともに、ご家族や周りの方々へ心からのお悔やみを申し上げたい。

闘病中には、夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵さんとともにブログでその様子を書くなどしていた。実に多くの人が読んで応援していただろう。私もその一人だ。ブログでは闘病の中でご自身の写真を公開するなどし、患者さんを勇気付けていた。

筆者は大腸がんの治療を専門とする外科医だ。がん治療に携わって10年以上になる。これまで1000件以上の手術をし、多くのがん患者さんの診療にあたってきた。そんな私が、がんの専門家として書くべきことがある。内容は以下の通りだ。なお、本記事には小林さんの病状を説明したり推測する内容は一切ない。また、文中には大腸がんの生存率の情報があるため、知りたくない方は読まないで頂きたい。


1, ラストシーンについての誤解と実際

2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ

1, ラストシーンについての誤解と実際

一つ目は、「ラストシーン」についてお話ししよう。「ラストシーン」とは、がんで亡くなる直前のことだ。末期や終末期という言葉が好きではないので、私はよく「ラストシーン」とか「着陸前」と表現する。

多くの方は映画やドラマなどで、ラストシーンがかなり悲惨なものだと思っているかもしれない。例えば抗がん剤の副作用でゲーゲー吐き、何も食べられず、痛みと苦しみでのたうちまわるーーー。

しかしそれは昔の話で、今はそんなことはほとんどない。

なぜなら、そういったラストシーンでの苦しみを取り除く治療がかなり発達し普及したからだ。この治療のことを、痛みや苦しみをやわらげるという意味で「緩和ケア」という。この緩和ケアには、痛み止めの薬で痛みを取り除くのみならず、息苦しさやだるさ、足のむくみなど体のすべての症状をやわらげる。それどころか、「自分ががんになったという苦しみ」や「死の恐怖」などの精神的な、あるいはもっと根源的な「魂の苦痛」と呼ばれる苦しみにも向き合う。

痛み止めについて少し追加すると、今ではがんによる痛みに対しては多くの場合、医療用の麻薬を使う。モルヒネやオキシコドンと呼ばれるものだ。麻薬と聞くと驚く方が多いだろうが、実に有能なお薬であり、たいした副作用もなくきちんと痛みを取ってくれる。他のどんな痛み止めでも効かないような痛みでも効果がある。麻薬はその有用さから、手術のあとの傷の痛みにも世界中で使われている。麻薬といえば麻薬中毒が心配かもしれないが、痛みがある状態で適正な量を使っていて中毒になることはまずありえない。私も何百人も麻薬を処方してきたが、一人も見たことがない。

こういったお薬や色んな手立てを講じるので、現在ではラストシーンはだいぶ穏やかであることが多い。もちろん全く症状がない訳ではないが、自宅のベッドの上で少しは平穏に毎日を過ごされる方が多い。

ドラマや映画では、がん患者さんのラストシーンはことさら悲惨に描かれることが今でも多いが、それはあまり事実ではないのだ。

2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ

話は変わる。次に私が書きたいこと、それは小林麻央さんの報道を受けて動揺されている、がん患者さんとそのご家族へ向けたメッセージだ。

もしあなたが、あるいはあなたの大切な人ががんにかかっていて、このニュースを聞いて落ち込んでいるとしたら。

確かに小林麻央さんは亡くなった。とても頑張っていらっしゃったが、最後にはそういうことになった。

しかしがんの性質や患者さんの病状というのは、人それぞれだということを知っていただきたい。

もし例え同じがんの同じステージであったとしても、同じ経過をたどるということではない。がんには生存率というものがあり、5年生存率は何パーセントとネットで調べればすぐにわかる。しかしそれはあくまでたくさんの人の結果を集計したもので、個人個人には大きなばらつきがある。つまりこういうことだ。大腸がんのステージ4だったある人は、2回の手術と抗がん剤で10年経った今でもがんの再発などなく元気だが、同じステージの別の方は3年で亡くなった、と。

だから、いたずらに動揺はしなくていいし、必要以上に不安に思わないでいい。これまで通り、主治医とよくお話をして、一緒に治療をしていけばいい。

がんの治療はまだまだ満足のいくレベルではないが、私を含む世界中のがんの専門家は日夜研究や治療に当たっている。わずかながら進歩もしているのだ。例えば30年前には大腸がんのステージ4の方は1年と生きられなかったが、今では3年以上生きる人も普通にいる。もちろんこれからまだまだ進歩は続いていく。

以上、2つのお話をさせていただいた。

みなが応援していた小林麻央さんの逝去で、心ざわめく人が少しでも楽になれますように。

※筆者と、医療用麻薬を製造販売する一切の製薬会社との間に利害関係はありません。

2017年06月23日 (14:49)

小林麻央さん死去 海外からも注目された闘病 英BBCに「私の人生は豊か」

乳がんを公表し、闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなったことが23日、分かった。34歳の若さだった。昨年6月に夫で歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)が麻央さんの病を公表。抗がん剤や輸血などの治療を続けていた。
麻央さんが公表、発信してきたがんとの闘病の日々は、海外でも紹介されていた。

 昨年11月、英BBCの公式サイトにがんとの闘病について寄稿。病気によって生きることへの考え方が変わったこと、母としての思いなどをつづった。BBCは毎年、「100Women」と題して、世界中から影響力を持ち、人の心を動かす女性100人の物語を掲載しており、麻央さんの記事も同シリーズでの掲載だった。

 「人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか??私は、そんなふうには思われたくありません」と胸中を吐露。

 「なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました」と思いをつづった。

 麻央さんはこの寄稿について「私なりの葛藤の先にたどり着いた思いです」と、自身の公式ブログで説明していた。

2017年06月23日 (14:30)

櫻井翔 涙を流し小央さん悼む「悔しい」 村尾キャスター「天の非情を感じます」

 ◇小林麻央さん死去

 乳がんで闘病中だったフリーアナウンサー、小林麻央(こばやし・まお、本名・堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日に死去したことが報じられた23日、日本テレビ「NEWS ZERO」(後11・00)で共演していた嵐の櫻井翔(35)が都内で取材に応じ、涙を流しながら悼んだ。

 櫻井は訃報を聞き「心よりお悔やみ申し上げます。ただただ、残念です。小林麻央さんとは初回から3年半ご一緒させて頂きました。本当に温かい番組ですので、出演者やスタッフを含めて“ゼロファミリー”と呼んでおり、家族を失ったような気持ちでいっぱいです。村尾さん(NEWS ZERO・村尾信尚キャスター)をはじめ、NEWS ZEROの出演者やスタッフ一同で手書きメッセージも送っていました。少しでも良くなるように願っていたので、今は悔しい気持ちでいっぱいです」と話した。

 また同番組のキャスターを務める村尾信尚氏(61)も「天の非情を感じます。市川海老蔵さんをはじめ、ご家族のことを思うと言葉がありません。麻央さん、よく頑張りましたね。若い世代で日本を変えようと、一緒にニュースを伝えたこと、私は誇りに思います」と悼んだ。

2017年06月23日 (14:00)

【会見全文】小林麻央さん死去 海老蔵「今後も『愛』を教わり続ける」

乳がんを公表し、闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが23日に34歳の若さで亡くなった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が会見。以下その全文。
「このたびはわざわざご報告するようなことではないかもしれませんけど、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。ご報告をするということもひとつ、義務なのかなと思います。昨日、夜に妻・麻央が旅立ちました。それによりましていろいろとございます。その中で家族の時間や、しなくてはならないこと、家族で話すべきこと、子どもたちとのこと、そういったことの時間という中で、思った以上に皆さまに伝わったのが早かったということで急きょこのように皆さまにお時間を作っていただいたのも、多くの方にご迷惑がかからないように。そしてまた、ブログやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということでこのような時間を設けさせていただきました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

――麻央さんとの最後のときはどんな言葉を交わされたのでしょう

「そうですね、私は昨日も舞台でございまして、それまで麻耶さんと、麻央のお母さんとずっと看病をしてました。私は舞台が終わった後に、ここで別の撮影がありまして、その後にロビーでまた別の稽古がございました。そのときにお母様からLINEが来てたんですけども、ちょっと僕は見ることができませんでした。約1時間半程遅れて見た内容が『具合が悪いから。ちょっとお医者様が来ていて、家族を呼んだようがいい』というような内容でして、慌てて急いで帰ったわけです。そうして帰りましてまだ麻央はこの世にいてくれて、たまたま、本当にたまたまですけど、私がちょうど妻のそばに座って、ちょっと呼吸が苦しそうだったので、大丈夫かな…おとといまではしゃべれたんですけど昨日はずっとしゃべれずにいたんで。これは不思議な話ですけれど、息を引き取る瞬間、を私は見てました。そのときこれは本当に不思議なんですけど『愛している』と言って。彼女が。その一言を言って…泣いちゃいますよね。その一言、『愛している』と言って本当にそれで、そのまま旅立ちました」

――麻央さんは『愛している』の言葉を受け止めたように思いましたか

「いや、僕が言ったわけじゃなくて彼女が。旅立つ間際に『愛してる』…『る』が聞こえるか聞こえないか分かんないですけど。『愛している』って言って旅立ったのがちょっと、まぁ何ていうんでしょうか。こんなに愛されてたのはよく分かっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれいたっていう。何ともいえませんね。すいません、なんか。どうしても昨日の今日で、何の準備もできてなくて。このようなところでお見苦しいところをご覧いれて…」

――最後をご自宅で送ってあげられたのは良かったと思いますか

「それはとても良かったと思います。お母様もお父様も私もお姉様も麻耶さんも、で、子どもたちもずっとそばにいれたのですごく良かったなと。私の父は病院で亡くしてますので、病院のときとは違う、家族の中で家族とともに、一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」

――お子さんも含めご家族で、皆さんで送ることができたということですか

「そうですね、子どもたちもみてました」

――麻央さんは闘病中辛い中でも勇気と愛情、笑顔を忘れずに戦ってこられた方ですね

「おっしゃる通り、本当に笑顔と勇気と愛情。けっしてブレない自分。そしてどんな状況でも相手のことを思いやる気持ち。まぁ愛ですよね、そういった力が最後までブレず。おとついまで笑顔で話してて。昨日はちょっと調子悪かったんですけど、おとつい、我々家族も急にそういう風になってしまったので、戸惑った部分がすごく大きかったです」

――海老蔵さんからは麻央さんにどんな言葉をかけましたか

「僕ですか?この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話してました」

――海老蔵さんにとって麻央さんはどんな存在でしたか

「うーん……とにかく、私をどんな部分もどこまでも愛してくれていたんだなと。存在っていうのを……うーん、まぁね存在ね、できればずっと一緒にいて私のが先に逝って彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達や、ご家族、麻耶さんやお母さんやお父さま、そして私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です」

――麗禾ちゃんや勸玄くんの様子は

「麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って寝てました。うーん、認識はしていると思いますね。勸玄はまだ、分かってはいるんですけど、分かっていないところもあって、今日の朝も横になってるところにふたりが麻央の顔を触ったり足をさすったり、手を握ったり。そういうところを見ると私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと。子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだ、分かってるんですけど、分かっていないと思います」

――奥さまから学んだこと、どういったことを伝えていきたいと思いますか

「元気になったら彼女は、自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらば、あーしたいこうしたい、多くの人の救いになれるような存在になれるようになりたい、というようなことで一生懸命闘病してました。それでブログというものも始めたんです、だから本当にマスコミさんのおかげで、ある意味公になってありがたかったと思います。それでブログというものを始めて、なにかこう同じ病の人たちや苦しんでる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、まぁ私からすると何か人ではないというか、何というかすごい人だなというか。言い方おかしいですけど。とにかく総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは『愛』なんだと思いますね」

――麻央さんの姿、思い出される表情は

「どういう表情?全部ですね。初めて会ったときの彼女から今の今日の朝まで全部です」

――笑顔が多いですか?

「そうですね、多かったと思います」

――これまでお話されてきた中で子どもさんへのお話で印象に残っていることは

「子ども?心残りだと思います。ふたりのことについて。どうすればいいんだろうって考えても答えが出なかったものだと思います。ですからいろんなことがあり、今回も子どもたちが出演したり、7月にせがれが出るんですけども、そういうのを観に来ることをひとつの目標としていろんなものを作ったんですけど、うん、まぁでもきっと見てると思うんでね。まだまだ心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか」

――海老蔵さんが託されたことは?

「多すぎて言葉に出せないですね。もちろん今も舞台やってたわけで、このあとも舞台ありますし、来月もすぐありますし。子どもの稽古もありますし。麗禾の成長のことも考えますし。やっぱりこれからまだ5歳と4歳ですから、これからお母さんっていう存在が彼女や彼には非常に重要な存在なわけではないですか、それをやはり失った、それを僕は代わりにはなれないですけど、出来る限りのことをやっていくように、もう、思ってますね」

――麻央さんの言葉で思いだされる言葉は?

「よく言っていた言葉…やはり、言葉というかお姉さん、麻耶さんが調子悪かったときにも例えば私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、そしてお母様も看病で疲れているときも、麻央のほうがもちろん大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ。こういう言葉っていうことじゃなくて、どこまでも相手のことを思う気持ち。これはね、一番多かったですね」

――麻央さんは改めてどんな奥さん?

「そうですね、わかりませんね。僕を変えた奥さんなんじゃないですか、わかりません」

――麻央さんがプロポーズのときに「来世も再来世も一緒に」という言葉が一番響いたとおっしゃっていましたが

「そのつもりです。その話もしました。ですがまぁ僕が愛想尽かされないように頑張んないといけないんだけど」

――その話をしたとき麻央さんは?

「元気なとき? 喜んでましたよね」

――改めて麻央さんに伝えたいことは?

「まだね、昨日の今日なんで。こういうところも全部聞いてると思うんでね、言うことは言わなくても伝わってると思うんで。いつも思ってるよねっていうことですね」

――麻央さんのブログに励まされた方へメッセージを

「麻央のブログや麻央の存在で励まされた方がいらっしゃるということで、今回のこのような形もある意味とらせていただいたと思うんです。実際、そういうことがなければ、このようなことを報告すること自体が、形としてはどうかと思うんです。ですが多くの麻央のことを応援してくださった方、そして麻央と共に戦っている方々、本当に昨日先に旅立ちましたけども、ずっと麻央はきっと皆さまのそばにいると思うので、本当にいろいろありがとうございました」

2017年06月23日 (13:23)

小林麻央さん死去 5年生存率34.8%ステージIVを闘い抜き

歌舞伎俳優・市川海老蔵さん(39)の妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日に亡くなった。享年34。2016年10月には、自らのブログでステージIV公表し治療を続けてきた。40代から罹患(りかん)率が増加し、日本人女性の12人に1人が乳がんになるなど、誰もがかかる可能性のある身近な病気になっている。『よくわかる!がん最新治療シリーズ 乳がんと診断されました』から、乳がんの統計を見てみる。
日本の乳がん患者数は年々増加し、現在は毎年7万人以上の人が乳がんと診断されている。30年以上前に比べると5倍に増加し、日本人女性の12人に1人が乳がんになっている。乳がんと診断されると「なぜ自分が……」とショックを受けるかもしれない。しかし乳がんは特別な病気ではなく、誰もがかかる可能性のある身近な病気なのだ。

 多くのがんは60歳以降で増加し、高齢になるほど増える。しかし乳がんにかかる人は30代半から増え始め、45歳から49歳でかかる人が最も多い。社会でも家庭でも役割が大きい年代の女性がかかりやすいというのが特徴だ。治療に専念するだけではなく、仕事や子育てをどのように両立させるのかといったことも問題となる。また、それほど多くはないが、妊娠や出産に関わる、より若い年代で発症する人もいる。女性がかかるがんの中で最も多いのが乳がんだが、死亡率でみると大腸がん、肺がん、胃がん、膵がんに次ぐ5番目だ。つまり乳がんはかかる人は多いけれど、それで亡くなる率は高くないがんといえる。

 全国がん(成人病)センター協議会加盟施設の生存率調査の5年生存率のデータを見ると、早期のI期で見つかった人の生存率はほぼ100%。II期でも95%以上だ。通常のがんは、治療から2、3年で再発することが多いため、5年生存率はがんが治ったかどうかの目安となる。しかし、乳がんはほかの臓器のがんに比べて増殖のスピードが遅く、治療から5年以上経過して再発することが少なくない。そこで乳がんの場合は10年生率を参考にするのが一般的だ。それでも早期であれば90%を超え、全症例では約80%だ。

 一方、ステージIVで見つかった人の5年生存率は35%以下だ。がん研有明病院の岩瀬拓士医師はこう話す。

「治らない人もいるという事実を知ることは必要なことだと思います。それを知ることで、たとえ治らなくてもどうやって充実した人生を送るか、本人も周りも考えられるのだと思います」

 大規模な10年生存率のデータは2016年に発表されたばかりなので比較できないが、5年生存率を見ると、乳がんの生存率は20年以上前と比べると上昇している。特に転移がない早期ではなく、見つかった段階でリンパ節転移があった人(領域)や離れた臓器に転移があった人(遠隔)の生存率が伸びている。手術だけではなく、術後薬物療法などが適切に実施されるようになったほか、分子標的薬など新しい薬が登場し、がんの性質に合わせた個別治療が確立されたことなど、治療の進歩によるところが大きい。

 5年生存率、10年生存率で生存している人の中には、再発している人もいる。

「現状では再発すると、基本的には治りません。けれども乳がんは再発してもすぐに亡くなるわけではなく、がんと共存しながら生活をしている人もたくさんいるのです」(岩瀬医師)

(文・中寺暁子)

2017年06月22日 (16:04)

外科手術やがん治療にも役立っている漢方薬。エビデンスも着々と確立!

なんとなく「古くさい」イメージのある漢方薬。しかし実際は、医学部の必修科目になっていたり、外科やがん治療に利用されていたりと、西洋医学と共に、私たちの健康を支えている。漢方・生薬に特化した世界で唯一の記念館「ツムラ漢方記念館」で取材した。

近年、医療現場では多くの漢方薬が活用されている。風邪や腰痛、抗がん剤の副作用軽減など、日本では現在、148種類の漢方製剤が保険適用となっている。ツムラが生産する漢方製剤は医療機関で処方される医療用がほとんどで、国内シェアは84%もあるという。

伝統を守っている古い世界という印象がある漢方薬だが、実際は、生産にロボットが使われていたり、品質管理や製造工程はコンピュータで制御されていたりと、ツムラの工場棟はかなりハイテクでクリーンな世界。食品会社レベルのスケールで、医薬品レベルのチェックを徹底し、安定した漢方製剤の製造に取り組んでいるのだとか。

そんなツムラの漢方製剤の中で一番多く処方されているのは「大建中湯(だいけんちゅうとう)」。乾姜(カンキョウ)、山椒(サンショウ)、人参(ニンジン)、膠飴(コウイ)が配合生薬となっている。外科の開腹手術後の膨満感などを改善し、早期回復に役立つとして、エビデンスも確立されているそうだ。

更年期症状など、漢方は婦人科・内科的な治療に多く使われているものだと思ったら、現代では、西洋医学の中でも、もっとも遠いと思われた外科の世界で重宝されていたとは、ちょっと驚きの事実だ。

ツムラはほかにも、「抑肝散(よくかんさん)」「半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)」「六君子湯(りっくんしとう)」など5種類の漢方薬のエビデンスを集約させている。

「なんとなく効く」と思われていたものが、はっきりした効果が認められ、どんどん医師に使われるようになっている「漢方」。西洋医学と漢方医学が同時に受けられる今の時代の日本。その力を借りて、健康を保ちたいものだ。

2017年06月22日 (15:55)

東北大学病院が個別化医療をスタート、がん治療にゲノム/オミックス解析を活用

 東北大学病院は2017年6月5日、患者のゲノム/オミックス解析や診療情報を活用し、個々の患者に合わせた最適な治療を提案する「個別化医療」を推進するプロジェクトを開始した。

 オミックスとは、ゲノム(遺伝子の総体)、トランスクリプトーム(mRNAの総体)、プロテオーム(タンパク質の総体)など、さまざまな網羅的生体分子についての情報をまとめたもの。これらを系統的に解析して、治療の最適化や発症予防などを目指すのがオミックス医療だ。

 同プロジェクトでは、まず、同年4月1日に同病院内に設置された「個別化医療センター」が中心となって、ゲノム医療/オミックス医療、特にがんのゲノム医療をターゲットとして疾患バイオバンクを設立し、がんクリニカルシーケンス検査を始める。

 がんは遺伝子に生じた異常が原因で発生するため、こうした異常を標的とし、その機能を制御する「分子標的治療薬」の開発が進んでいる。個々の患者のがん細胞にどのような異常が生じているかを調べるがんクリニカルシーケンス検査は、将来、より有効な薬剤による治療の可能性を広げるとしている。

 個別化医療センターでは、クリニカルシーケンス検査によって現時点でのゲノム医療を提供するとともに、疾患バイオバンクを活用して全エクソン解析などさらなる遺伝子解析研究を進める。将来的には、ゲノム解析を治療の最適化や発症の予防につなげていく。

2017年06月22日 (15:31)

そのタバコ、凶暴につき  「ライト」なタバコは肺腺がんの増加要因

軽いタバコの罠

タバコが体に悪いことは、今や誰もが知っている。そうは言っても、ニコチンには強い習慣性があるため、簡単には止められない。「ライト」とか「スーパーライト」とか書いてあるフィルターに小さな通気孔がついているタバコなら、外気で煙も薄まるだろうし、タールも少ないようだから、まだましだろう。日本で暮らしていた25年ほど前までの私も、そう思って「軽いタバコ」に手を伸ばしていた。

しかしアメリカの公衆衛生当局は、15年以上前から「低タール」、「ライト」なタバコの方が健康被害が少ないというタバコ会社の主張は危険だと考えていた。90年半ばから積極的にタバコ規制に取り組んできたアメリカでは、喫煙者が減るに従って他のタイプの肺がんが減少を続けているのに、多くが肺の奥の方から発生するこの肺腺がんだけは増加傾向だった。研究者や公衆衛生の専門家らは、アメリカでは50年前に導入されたいわゆるライトタバコに疑いの目を向け、研究を続けてきたのだ。

そして先月、オハイオ州立大学総合がんセンターをはじめとする大学やがんセンターの研究者らが、通気孔つきフィルターのタバコが、肺腺がんの増加に関連しているという研究結果を発表した。

肺腺がんは、今や肺がんの中でもっとも一般的なタイプで、先日亡くなった女優の野際陽子さんや、歌舞伎役者の中村獅童さんの肺がんも、腺がんである。がんには様々な要因があるので、非喫煙者で肺腺がんに罹ってしまう例も少なくないが、「だからタバコはそれほど関係ない」なんて夢にも思わないでほしい。大多数の肺腺がん罹患者は喫煙者である。
「ライト」、「低タール」の意味

アメリカのタバコ産業は、機械に吸わせたタバコの煙を測定し、発がん性物質が含まれるタールが7ミリグラム以下はウルトラライトとか、ウルトラ低タールと呼んでいる。普通のタバコだとタールが15ミリグラム以上なので、ウルトラライトの方が害が少ないと言われると、つい納得してしまいそうだ。

しかし実際に人間がタバコを吸うときには、気づかぬうちに通気孔を唇や指でふさいでしまったり、有害物質が溜まる根元まで吸ってしまったりと、肺に吸い込まれる有害物質の量は機械測定の数字通りにはいかない。タバコの煙にはタール以外にも60以上の発がん性物質が含まれているのだ。

それだけではない。上記の研究を率いたオハイオ州立大学総合がんセンターのシールズ医師によれば、ライトタバコはフィルターに通気孔があるためにタバコの燃焼が変化して、より多くの発がん物質が発生し、また深く吸うので煙が肺の深部まで到達する。肺の奥で発生する肺腺がんが増えていることと符号するのだ。

タバコ被害を減らすために

アメリカでは2009年にオバマ大統領が「家族の喫煙予防とタバコ規制法」を制定し、米国食品医薬品局(FDA)にタバコ規制の権限を与えて規制をしやすくした。またこの法により、「ライト」や「低タール」といった誤解を招くような製品ラベルは禁じ、逆にタバコの潜在的な有害性や成分をわかりやすく示す大きな警告ラベルを表示することが義務付けられた。

しかし今回の研究結果により、ライトタバコに対する規制強化を求める声はさらに高まりそうだ。シールズ医師は、「データが過去20年間の通気孔付きフィルタータバコと、肺腺がんの増加を関連を明確に示した」ことから、FDAは通気孔使用の完全禁止を含めた規制強化を即時に実施する義務があると主張している。

一方、具体的に「ライト」といった製品表示を禁ずる規制のない日本ではどうだろうか。JT(日本たばこ産業)のウェブサイトを見ると、「マイルド」や「ライト」は商品の味・香りの特徴をわかりやすく伝える「形容的な表示」、JT側には自らの意見を表明する権利がある形容的表示の禁止は消費者の商品選択上の情報を奪い、混乱を招く不適切なもので、これを規制するのは過度な規制だと説明している。

その上で、「日本においては、たばこ事業法に基づく財務省令により、このような形容的表示を使用する場合には消費者に誤解を生じさせないための文言を包装に表示することが義務付けられており、私たちは、当社製品に法令に基づく適切な文言の表示を行っています」とのこと。

受動喫煙防止法案でさえ国会提出が先送りになってしまう国では、消費者が自分の健康は自分で守るという高い意識と強い意志を持たなければならないようだ。

肺がんだけの問題じゃない

タバコとがんといえば、すぐに思い浮かぶのは肺がんだが、食道、膵臓、肝臓、腎臓、胃、大腸、膀胱、急性骨髄性白血病など様々ながんのリスク要因にもなる。幸運にもがんを発症せずにせっかく長生きしても、慢性閉塞性肺疾患になっては文字通り息苦しい老後になってしまう。

また父親または母親の喫煙習慣は、たとえそれが妊娠前の喫煙習慣でも子供の小児白血病の発症因子になるという研究結果もある。

アメリカではタバコに起因する病気による成人の医療費は年間1700億ドル(約19兆円)、受動喫煙を起因するものを含め、生産性の損失は1560億ドル以上(約18.4兆円)だ。個人レベルで恐縮だが、私もアメリカに移って禁煙に成功した後は、それまでにずいぶんと無駄なお金をタバコ代につぎ込んだなあと後悔した覚えがある。

受動喫煙防止に反対する一部の政治家の方々にはタバコのご利益があるのかもしれないが、私たちにとってはタバコはまさに百害あって一利なし。しかも習慣性があるので、なかなか足を洗えない。でもすべてのタバコは凶暴につき、喫煙者は何とかがんばって禁煙してみませんか。自分の健康のためであり、あなたの健康を望んでいる家族や友人を安心させることにもなります。

非喫煙者の皆さん、禁煙は簡単ではありません。身近に禁煙チャレンジャーがいたら、ぜひタバコ以外の楽しみを共有しながら、力の限り応援しましょう。元喫煙者の皆さん、禁煙した時の苦労を思い出して喫煙チャレンジャーをはげまし、未成年者には将来おなじ苦労をさせないよう、「いくつになっても、タバコはダメ」と伝えましょう。

2017年06月22日 (15:09)

他人の検体で「胃がん」…3分の2切除 実際は胃潰瘍

 愛知県東海市の病院で、50代の男性が他人の検体で「胃がん」と誤って診断されて胃の3分の2を切除されていたことが分かりました。男性は実際には胃潰瘍(いかいよう)でした。

 診断ミスがあったのは東海市の公立西知多総合病院です。病院によりますと、今年4月に愛知県内に住む50代と80代の男性が内視鏡検査を受けた際、採取した胃の検体を誤って取り違えました。このため、実際には胃潰瘍だった50代の男性が悪性の胃がんと診断され、男性は先月、胃の3分の2を切除する手術を受けました。しかし、病理組織診断の結果、がんが見つからなかったことから検体の取り違えに気付いたということです。病院は瓶に入れた検体を診断用のケースに移す際、瓶とラベルに記入されたID番号の確認が不十分だったと説明しています。

2017年06月22日 (14:53)

海老蔵、何年たったのか…がん闘病の小林麻央への思い「よくなってほしい」

歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が22日にブログを更新、現在、自宅でがんと闘い続けている妻・小林麻央(34)について、「よくなってほしい、、ただそれだけ」と思いをつづった。


小林は現在、入院先の病院から自宅に戻り、在宅医療でがんと闘っている。そんな妻について海老蔵は「日々の戦い、まおは日々 病と戦っています」と切り出し、「支える側の家族も 懸命に戦い 日常を何事もないかのように過ごしながら 家の中でひたすら戦ってます」と心情を明かした。
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 さらに海老蔵は、「もう何年たったのか」とがん発覚からの日々を振り返り「病とは恐ろしいものです」と胸中を吐露。同時に「その事を毎日感じながら、乗り越え すごし 耐え 希望を持つ事。必ず光明がさすとひたすら信じて支える」(原文ママ)と決意している。
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 小林は、昨年の6月9日、進行性のがんのため極秘入院していると一部で報じられたことを受け海老蔵が都内で緊急会見。乳がんのため、すでに1年8か月に及ぶ闘病生活を送っていたことを発表した。その後、小林はブログをスタートさせ、がんが肺や骨などに転移していることやステージ4の状況であることを公表。同時に、2人の子供を持つ母として、また妻としての思いや闘病の日々をつづっている。(西村重人)

2017年06月21日 (15:50)

進行性乳がんとは…12人に1人が乳がんになる時代に


◆日本人女性の12人に1人(※注)が罹患する乳がん

「進行性乳がん」で闘病中の小林麻央さん。幼いお子さんがいる若い女性ががんに罹患、というだけでもご家族とご本人の負担はいかほどかと、本当に胸が痛みます。ただここ数十年で日本人女性に急速に増加している乳がん。筆者の周りにも何人もいらっしゃいますし、とても他人ごとではありません。

そして、昨今の報道にもある「進行性乳がん」という言葉はあまり聞きなれないものだと思いますので、若い女性の方にも、これをきっかけにぜひ身近な病気である乳がんについて、理解を深めていただければと思います。
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◆早期がんと進行がんの違い

消化器のがん、例えば胃がんなどでは「早期がん」と「進行がん」ははっきりとした医学的な定義があります。簡単にいえば、胃の表面である粘膜下層までにとどまっているものは「早期がん」。胃の深い部分である筋層まで達しているものを「進行がん」と呼びます。

ただ、一般にはこの言葉はもうちょっと漠然とした意味で使われているようです。例えばコトバンクによれば、「がんは一般に、早期(そうき)がん、進行(しんこう)がん、末期(まっき)がんの3段階に大別されます」となっています。なんとなく早期→進行→末期のイメージでしょうか。

ただ、イメージだとかえってわかりにくくなったり、誤解を招くことも多いので、医療関係者は通常がんの進行具合を「病期(ステージ)」という分類で表します。
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◆乳がんの病期・ステージ分類

がんは、大きさ、脇の下のリンパ節への転移の有無、離れた他の臓器への転移の有無によってステージが決まります。がんのステージは数が大きいほど進行していることを意味します。下記、筆者が大まかにまとめたものです。

乳がんでは、一般的にステージ0~I期と、いちおうII期までを早期乳がん、さらにステージIII期のことを局所進行乳がん(locally advanced breast cancer)と言います。ただ英語では進行乳がん(advanced breast cancer)というとステージIVを指す場合も多いため、ただ進行性乳がんといった報道があった場合、どちらを指すのかははっきりしません。

●ステージ0期
・非浸潤がん。がん細胞がごく小さい一部にとどまる。周りに浸潤せず、しこりも触れない極めて早期のがん 

●ステージI期
・しこりが小さく(2cm以下)、脇の下のリンパ節に転移していない

●ステージII期
・しこりが小さくても(2cm以下)、わきの下のリンパ節に転移がある
・しこりが中くらい(2~5cm)(わきの下のリンパ節への転移はあることもないことも)
・しこりが大きく(5cm以上)、わきの下のリンパ節に転移がない

●ステージIII期
・しこりが大きく(5cm以上)、わきの下のリンパ節に転移がある
・しこりが大きくなくても(5cm以下)、わきの下のリンパ節にたくさん転移している、それより広範囲、鎖骨や胸骨のリンパ節にまで転移している
・皮膚にしこりが飛び出したり、崩れたりむくんでいたりする

●ステージIV期
・がんが他の臓器(骨、肺、 肝臓、脳)まで転移している

乳がんの治療には手術、放射線治療、薬物療法があり、病状に応じて組み合わせて行います。また、状態によっては手術を行わないこともあります。

◆乳がんになりやすい要因……限界はあるものの検診も重要

乳がんが増加している理由は女性の社会進出などいろいろといわれています。乳がんになりやすい主な原因として挙げられるのが、年齢・遺伝・エストロゲン・肥満の影響です。

また、乳がん検診でも確実に全ての乳がんが早期で発見できるとは限りません。検診には限界があり、万能ではありません。それでもやはり早期発見、早期治療の可能性を少しでも増やせるよう、検診を受けることは重要です。誰もがかかる可能性のある乳がんについて正しく知り、定期的にセルフチェックや乳がん検診を受けるようにしましょう。

※注:国立がん研究センターがん対策情報センター がんに罹患する確率~累積罹患リスク(2011年データに基づく)

●参考文献
日本乳癌学会編「臨床・病理 乳癌取扱い規約」(金原出版)
日本乳癌学会「乳がん診療ガイドライン」
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山田 恵子

2017年06月21日 (15:40)

海老蔵、麻央と低気圧について話す「今まおとその事を…」

歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が21日に更新した公式ブログで、がん闘病中の妻でフリーアナウンサー、小林麻央(34)と低気圧について話したことを明かした。

 この日、海老蔵一家が在住する東京は朝から雨。海老蔵は「低気圧」と題した投稿で「今日くらいから本格的な梅雨の気配、低気圧になります、ご自愛を、」とブログ読者に呼びかけた後で「今まおともその事を話してます」と続けた。

 近年「気象病」「天気痛」など、健康な人間でも気候の変化で体調を崩すことが認知されてきているが、海老蔵と現在は自宅療養している麻央との間では、気候の変化にはより敏感にならざるをえないようだ。

 なお、海老蔵自身はその後のブログで上演中の舞台について「とても蒸していて 衣裳すごいことに皆んななっているみたいです。私は何故か平気なのですが…」とつづっており、梅雨には強いとみられる。

2017年06月21日 (15:00)

海老蔵 8月中旬から休暇「ヤッター」 麻央、子供たちとの時間に

歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が、主演舞台「六本木歌舞伎 第二弾 座頭市」の公演終了後の8月中旬から休暇に入ることを21日の公式ブログで明らかにしている。がん闘病中の妻・小林麻央(34)、長女・麗禾ちゃん(5)、長男・勸玄君(3)ら家族と過ごす時間を作ることになりそうだ。
海老蔵は「雨ですね」と題した投稿で「今年私、座頭市おわったら 休むことになりました!ヤッター いつからちゃんと休んでないか ブログ見返してみてください笑笑」と発表。「座頭市」は8月2~7日に名古屋の中日劇場、同10~13日に大阪のフェスティバルホールで上演されるため、海老蔵は早ければ8月14日から休暇を取得できることになる。

 海老蔵は「夏は夏で暑そうですねワクワク」と、今から本格的な夏の到来が待ち遠しい様子。麻央(34)が現在、自宅療養しているだけに、家族水入らずの夏休みを過ごせることになりそうだ。

 海老蔵は昨年6月9日に会見し、麻央の乳がんを公表。同8月11日から9月半ばまで長期休暇を取り、家族で過ごしていた。
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