2017年01月16日 (11:36)
末期癌の医師・僧侶 「除夜の鐘」の意味を解説
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花火や爆竹ではなく、静かに反省して新年を迎える。日本のお寺では大晦日に除夜の鐘を撞きます。鐘を撞いて、煩悩を撞き尽くすのです。「一切の煩悩が永く尽きる、是を涅槃という」は、雑阿含経(お釈迦様の説法を伝える仏教の古典)第十八巻の舎利弗諸説経にある言葉です。
舎利弗は、お釈迦様の弟子で、シャーリという名の女性の子という意味の名前です。シャーリは鳥の種類で日本では九官鳥といいます。九官という名前の人が、自分の名前を呼ばせて、日本にこの鳥を紹介したのだそうです。
舎利弗は、お釈迦様よりも年上で、他の多くの出家修行者と同様に不死を求めて修行していました。お釈迦様の最初の説法を聞いた5人の修行者が、順次理解して仏弟子となりました。
その5番目の弟子アッサジに会った舎利弗は、お釈迦様の説法についてアッサジに質問しました。そしてお釈迦様が「不死」に目覚めたと確信し、友人の目蓮と共に、不可知論者(超自然的な問題に対して判断を中止した)サンジャヤの弟子250人を引き連れて仏弟子となりました。
このとき舎利弗が聞いたアッサジの言葉は「物事は原因から生じ、その原因を、そしてその滅尽をも、私の師は説く」という内容でした。
お釈迦様は苦の原因と滅尽を説かれたのです。
舎利弗は、今回取り上げた文の前で「涅槃とは、貪欲が永く尽き、瞋恚が永く尽き、愚痴が永く尽きる」と説明しています。貪欲(むさぼり)と瞋恚(怒り)と愚痴(愚かさ)を三毒といい、煩悩の根本なのです。
お釈迦様の時代から800年以上過ぎる間に仏弟子達は煩悩の研究を掘り下げ、阿毘達磨倶舎論(代表的なインドの仏教論書)では108の煩悩が説かれています。108の煩悩を撞き尽くすために、除夜の鐘は108回撞くのです。煩悩こそが争いや苦しみの原因です。相手が悪いと言って怒る。しかし怒っているのは自分の心であり、自分の欲望が満足しないから怒っているのです。これに気づかないことを愚癡といいます。
三毒の対極にあるのが清浄・清涼・光明の三義で、貪りが無い浄らかさ、怒りの熱を鎮める涼しさ、愚かさの闇を照らす知恵の光明です。「除夜の鐘」の除夜は、行く年を除く日(大晦日)の夜という意味ですが、愚かさの闇を除いて、来る年が知恵の光明に輝くことを祈る願いが込められているのです。
除夜の鐘は、中国から宋の時代に日本に伝えられたそうですが、中国では行なわれなくなってしまいました。ただ寒山寺では108回の除夜の鐘を撞いています。寒山寺の梵鐘を日本軍が調達したという話を聞いて、戦後に日本から梵鐘を寄付したのだそうです。それで寒山寺では除夜の鐘を復活したとのことです。争いを無くす除夜の鐘が世界中で撞かれるようになることを祈願いたします。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓 がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2017年1月13・20日号