グループサウンズ、ザ・スパイダースのメンバーとして活躍し、その後も日本の音楽シーンを牽引してきた歌手のムッシュかまやつ(本名・釜萢弘=かまやつ・ひろし)さんが1日、膵(すい)がんのため、都内の病院で死去した。78歳だった。音楽界のレジェンドは昨年5月に肝臓がんが見つかったが、仕事復帰に意欲を見せ、闘病を続けてきたがついに力尽きた。
最後の公の場は昨年12月8日、ザ・スパイダースでともに活躍した盟友、堺正章(70)の70歳を記念したライブ。少しやつれてはいたが、飛び入り参加し、デュエットを披露した。
昨年5月、検査を受けた際に肝臓がんが発覚、手術は行わず通院して抗がん剤での治療を選んだ。闘病中も仕事をこなしていたが、8月23日に脱水症状を起こし救急搬送され、入院。9月に病名を公表した際には「絶対復活するから心配しないでください!!」と再起を誓っていた。
10月末に退院し、以降はいとこで歌手の森山良子(69)宅に身を寄せて、治療を続けていたが、病魔は体をむしばんでいた。
日系米国人でジャズシンガーのティーブ釜萢の長男として生まれたかまやつさん。中学生のころから六本木のクラブでジャズを聴き、当時の一流文化人が集まった東京・麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」で三島由紀夫や石原裕次郎らから刺激を受けた。
57年に国際劇場でプロデビュー。63年にザ・スパイダースに加入し、かまやつさんが作曲した「フリフリ」「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」などが大ヒットし、グループサウンズブームをけん引した。
66年のビートルズ日本公演では、前座での出演を打診されたが、コンサート自体が見られなくなるため辞退したことも。
70年にスパイダースが解散した後は、ソロシンガーとして活躍。吉田拓郎が手がけた「我が良き友よ」は大ヒット。アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディング曲「やつらの足音のバラード」もアニメ曲とは思えない趣で意表をついた。
72年には荒井由実(現松任谷由実)のデビュー曲「返事はいらない」のプロデュースを担当するなど、後進の育成にも熱心で後のJポップ文化にも多大な影響を与えた。
俳優としても、一目見たら忘れられない風貌から、独特の存在感を放っていた。70年代にはTBS「時間ですよ」にギターを抱えた質店主役で出演、主演の堺とのからみで名物キャラクターに。79年の映画「戦国自衛隊」などにも出演した。
長男はミュージシャンのTAROかまやつ(46)、シンガー・ソングライターの森山直太朗(40)は従甥。
つねに音楽の最先端で発信し続け、多くのミュージシャンからリスペクトされてきたかまやつさん。ロックバンド、THE ALFEEの坂崎幸之助(62)もそのひとり。
坂崎は昨年、夕刊フジのインタビューで、かまやつさんについて「ムッシュはビートルズの『HELP』が日本で発売される前にFENで聴いて、すぐに耳コピーでカバーしたの。ジャズ喫茶で披露したら評判だったらしいけど、実際に日本で発売されたら、歌詞が『ヘルプ』しか合ってなかったんだって」とユーモアをまじえて語ったのも、かまやつさんらしさゆえ。
またひとり昭和の輝きを失った。
【かまやつさんの主な代表曲】
フリフリ(1965年)
なんとなくなんとなく(66年)
バン・バン・バン(67年)
あの時君は若かった(68年)
シンシア(74年)
やつらの足音のバラード(74年)
我が良き友よ(75年)
※作曲含む
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